舞浜海洋国家

東京ディズニーシーの建築やBGSについてつらつら書くブログ

お久しぶりです&ブログタイトルに決着がついた話

みなさんお久しぶりです!

ホテルミラコスタの客室にて「ブログを書いてる」なんて旨のツイートをしたのが去年の3月。かれこれ1年も前になります....。

おまえ1年も何してたんだよ、なんて思われても仕方ありませんが、高校生には避けて通れない「ジュケン」とかいうものに取り組んでおりました。無事にそいつを終えることができたので、今こうしてブログを書いています。

アクセス数を確認してみたところ、更新が止まってる間にも見ていらっしゃた方がいたようで、とても嬉しいです。ありがとうございます🙇‍♂️

これからまたぼちぼち更新していくつもりなのでこれからも見ていただけたら嬉しい限りです!どうぞよろしくお願いします。

これだけなのもあれなので、以下昨年下書きを書いて投稿しないままでいた「ブログタイトルに決着がついた話」なるものを掲載しておきます。よろしければ合わせてお読みください。

 

※これより下は1年前に書いたものをそのまま掲載しています。

みなさんいかがお過ごしでしょうか。今回の記事はいつもとは少し違い、雑談のような内容になります。割と自由な感じでこのブログを展開していこうと考えているので、お付き合いいただける方は是非よろしくお願いします🙇‍♂️

さて、今回の話はタイトルにもあるとおり、今まで「舞浜海洋国家(仮)」という表記だった仮のブログタイトルを正式に「舞浜海洋国家」に決定したというお話です。というのもそこには、今まで僕が気がつかなかったこのタイトルの持つ意味があったからなんですね。ちなみにブログタイトルについての話は最初のブログ紹介記事にも書いています。

そもそもこの「舞浜海洋国家」という言葉は僕の友人の口から出た言葉で、当時ディズニーシーのことをよく知らなかったその友人が考えたディズニーシーのテーマだったわけです。正確には彼は「ディズニーシーって要するに舞浜軍事海洋国家のことでしょ?」的なことを半ば冗談で言ったのですが、何故かそのワードが僕のツボに入り、仮ブログタイトルとして採用することになりました。よく考えると変な話ですね(笑)   まあブログタイトルなんて正直なんでもよかったわけですが...

 

ですが、最近ディズニーシーのメディテレーニアンハーバーについて調べていくうちにある発見がありました。メディテレーニアンハーバーを構成するエリアは大きく分けて「ポルト・パラディーゾ」、「パラッツォ・カナル」、「エクスプローラーズ・ランディング」となるわけですが、そこに焦点を当てて考えてみましょう。

まずポルト・パラディーゾのモデルは一般にイタリアのリゾート地「ポルトフィーノ」だと言われています。このポルトフィーノは現在イタリアのジェノヴァ市に位置しており、大きな視点で見ればジェノヴァだと言ってもいいわけです。(たぶん) そしてパラッツォ・カナルのモデルはご存知の通りヴェネツィアです。この「ジェノヴァ」と「ヴェネツィア」という2つの都市は中世以降、地中海での東方貿易によってその地位を築いていくことになります。すなわちこれらはれっきとした「商業海洋都市国家」であると言えます。

そしてエクスプローラーズ・ランディングがイベリア半島のスペインまたはポルトガルにあることは以前紹介しましたが、このスペイン、ポルトガル大航海時代において航海で成功を収めます。まさしく「海洋国家」そのものです。

というわけでメディテレーニアンハーバーというテーマポートは海洋国家で構成されているものであり、これに「舞浜」という地名が付与された「舞浜海洋国家」とはまさに「メディテレーニアンハーバー」を意味すると言えるのです!!奇しくも当ブログでは(少なくとも今のところは)メディテレーニアンハーバーに関する記事を中心に書いています。もうこのタイトルがぴったりという他ないでしょう。

もう一度言いますが、元はこのタイトルは友人の口からたまたま生み出されたものです。それがここまでブログの趣旨と一致してしまうとは不思議なこともあるものですね。実に不思議です。ほんとに。

そんなわけで多少の無理矢理感は否めませんが、ブログタイトルが正式に決定したよという話でした。ここまで読んでくださった方、お付き合いいただきありがとうございました!

マゼランズのプロップスを紐解く②

みなさんこんにちは!

特に何も考えずに過ごしてたら、すっかり年が明けてから二週間が経ってしまいました。最後にブログを更新したのも25日前ということです。また割と時間が空いてしまいました。

さて、今回も前回に引き続いて、マゼランズのプロップスについて紹介していきます。前回の記事をまだ読んでないという方は、是非とも読んでみてください!

tsubasan0924.hatenablog.com

今回はマゼランズ内にあるタペストリについてです。タペストリーとは、壁掛けなどに使われる室内装飾用の織物の一種で、中世末期にその最盛期を迎えました。タペストリーの歴史は古く、起源は紀元前15世紀のエジプトにまで遡ると言われています。タペストリーの主な特徴としては、絵画と違い持ち運びが可能という点があります。中世ヨーロッパの王や貴族たちは屋敷や別荘などにタペストリーを持ち運び、壁にかけて楽しんだとされています。

余談になりますが、去年新しく東京ディズニーランドにオープンしたアトラクション「美女と野獣“魔法のものがたり“」の待ち列でも多くのタペストリーを確認することができます。もし乗る機会があれば是非とも注目してみてくださいね!

 

それでは本題に入ります。まずはこちらのタペストリーです。

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このタペストリーは16世紀のフランスで製作されたと推定されるL'Astronomieというものです。フランス語は全くわかりませんが、直訳すると「天文学」という意味になるんでしょうか。天文学者たちが空を見上げて星を観察している様子が描かれていますね。こちらのタペストリーは比較的有名なものらしく、Wikipediaで「タペストリー」と検索すると1番上にこれの画像が出てきます。

 

ちなみに先ほど美女と野獣のアトラクションの待ち列の話をしましたが、そこにもこれと同じタペストリーがあることを、先日確認してきました。

新アトラクションに乗るとなった時に、自分の知っているタペストリーを見つけて1人で興奮している人は、たぶん僕以外には滅多にいないんじゃないでしょうか

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美女と野獣ライドの待ち列にあるもの

何故か額縁となっている模様が違うのですが、タペストリー自体は同じものであるとわかりますね。皆さんも隠れミッキーならぬ隠れタペストリー(?)を探してみるのも良いんじゃないでしょうか?

commons.wikimedia.org

 

 

続いてはこちらです。

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このタペストリーはマゼランズの2階部分から1階へ降りる際の階段の横に飾ってあるものです。 丘の上の風車、お城や鹿、ウサギ、鳥などの野生動物が印象的なタペストリーですね。結構大きいので目立ちます。このタペストリーの詳細を調べたところこちらのサイトに辿り着きました。↓

Vintage 1960s JP Paris French Renaissance Design Point De l'Halluin Tapestry

www.edgebrookhouse.com

こちらのサイトによるとフランスで製作されたもので、ルネサンス風のものだということです。製作された時期については1960年代と書かれています。これに関してはちょっと謎が残りますね。もっと古い時代の元ネタがあったりするんでしょうかね?

 

続いてはこちらの、マゼランズ2階部分(マゼランズ・ラウンジ)に掛けられているタペストリーです。

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おそらく同じものがこちらのサイトに載っていました↓

llph.co.uk


www.wikitree.com

ですがこちらのサイトに載っているものの方が全長が長く、おそらくマゼランズにあるものは完全なものではないのでしょう。タイトルはThe Concertということで、確かに人が何かを演奏している様子が描かれていますね。世界史的に毛織物産業で有名な、フランドル地方で15世紀頃製作されたものと推定されます。

 

 

続いてはこちらです。

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上記のタペストリーとなんとなく似ている感じですね。概要は先ほどと同じこちらのサイトにありました。↓

llph.co.uk


marketplace.secondlife.com

タイトルはFalconers  Tapestry"falconer"とは「鷹使い」という意味です。鷹を飼い慣らして狩りを行う人たちのことですね。

とは言ってもこのタペストリー、真ん中の女性と思われる人物がピアノのようなものを演奏しているのが特徴的で、どうも鷹狩り要素がほとんどないように見えます... これもまた謎ですね。

 

続いてはこちらのタペストリーです。精密に描かれている中央の鳥が印象的ですね。

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しかし、このタペストリーに限っては元となるソースが見つかりませんでした... 歴史的なものではなく割と普通に市販されてるものなのかもしれませんね。

同じようなものは見つけたので一応リンクを貼っておきます↓

www.miantica.fi

 

 

最後に紹介するタペストリーはこちらです。

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絵画性の強かったこれまで紹介したタペストリーと比べて、こちらは絵と言うより地図ですよね。ちなみにマゼランズのプロップスの中で僕のお気に入りのものがこれです。

元ネタはこちら↓

www.thetapestryhouse.com

オランダの地図製作者ヘンリクス・ホンディウス2世が17世紀に製作した地図を複製したもの、とのことです。タイトルはNova totivs terrarvm orbits Geographica ac Hydrographica tabla直訳すると「大地と海の地理の新しい完全な地図」となります。見たまんまですが、要するに世界地図ですね。地図としては、同時期に誕生したメルカトル図(メルカトル図法で有名なあのメルカトルさんです)や、ブラウ図と呼ばれるものに近いです。地図だけでなく、周りに新大陸を描いたものやガレオン船天文学者たちの絵が描かれているのがなかなか楽しくて良いです。

 

 

 さて、そんなわけで今日はマゼランズ内にあるタペストリーについてご紹介していきました。いろいろ調べていてわかったのですが、夢のないことを言えば、これらのタペストリーはどれもネットなどで普通に売られているものみたいですね。ルネサンス期やそれ以降のタペストリーを模したものを、イマジニアの方たちが買い集めてこのマゼランズに飾ったのでしょうか。

とは言ってもマゼランズにあるプロップス自体が、世界中を探検した探検家や冒険家たちが収集してきたもの、というストーリーがあるのでイマジニアたちの方法は指向としては正しいのかもしれませんね!

 

最後まで読んでいただきありがとうございます!インスタのDMなどでも感想等を言ってくださるとありがたいです🙇‍♂️

この「マゼランズのプロップスを紐解く」シリーズ(?)の第三弾についてですが、調べることが多く結構時間がかかりそうなので、次の記事はまた別のことついて書くことになると思います。

 

それでは!

 

マゼランズのプロップスを紐解く①

みなさんこんにちは!ブログを更新したいと思っても中々手が回らないものですね。これからも手が空いた時にやってくぐらいの感じで書いていこうかなと思っています。

さて、前回の記事に引き続き今回もマゼランズについての記事を書いていきます。前回の記事をまだ読んでないという方は下のリンクからお願いします!

tsubasan0924.hatenablog.com

マゼランズはレストランでありながら、様々な絵画やタペストリーに楽器や器具などが飾られており、半ば博物館のような場所でもあります。(この理由にももちろんストーリーがあるのですがそれはまた後ほどご紹介するかもしれません。)これらのようなパーク内にある装飾物や置物などは総称してプロップスと呼ばれています。これらマゼランズにある様々なプロップスについて調べていこうということをこれから何記事かに分けて書いていこうと思っています。

 

マゼランとは?

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写真は「エクスプローラーズ・ホール」にあるもの

まずはこのレストラン「マゼランズ」の名前の元となっているフェルディナンド・マゼラン(1480頃〜1521)について軽く紹介しようと思います。

ポルトガル出身の航海者であるマゼランは1519年、スペイン王カルロス1世(詳しくは後述)の後ろ盾を得て西まわりでのモルッカ諸島到達を目指して航海を始めます。1521年フィリピン諸島セブ島へと到達を果たしますが、現地での抗争にてマクタン島首長であるラプラプに殺害されてしまいます。そして1522年に生き残った彼の部下である18人がスペインへと辿り着き、世界で初めて世界周航を成し遂げたことになりました。その彼の功績を讃えて、このレストランには彼の名前がつけられたというわけですね。

 

人物の肖像画

マゼランズには何人かの人物の肖像画が飾られています。まずはそれらについて見ていきましょう。なおそれぞれの肖像画には元となった元ネタがあり、その詳細が書かれたサイトを説明とともに添付しておきます。

 エンリケ航海王子(1394〜1460)

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ポルトガルジョアン一世の王子であるエンリケは、大航海時代が始まるにあたって、いなくてはならない存在として知られています。彼は1415年アフリカ西北端のセウタ攻略に成功し、大西洋および西アフリカの探検事業を推進、他にも航海学校や天文台の設置にも尽力しました。一方で、船酔いしてしまうことから彼自身は航海には出なかったという逸話もありますね。

commons.wikimedia.org

クリストファー=コロンブス(1451〜1506)

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歴史の教科書を読むと必ず載っていると言っても過言ではない肖像画ですね。彼についてはもはや説明はいらないと思いますが、コロンブスはヨーロッパ人で初めてアメリカ大陸を発見したとされる人物です。スペイン女王の後ろ盾を得て航海した彼は1492年に新大陸を発見し、のちに彼がサン・サルバドル島と名付ける島へと上陸を果たします。しかしコロンブスはその後死ぬまで自身が発見した土地をインドだと主張していたことは有名な話ですよね。 

commons.wikimedia.org

ヴァスコ=ダ=ガマ(1469頃〜1524)

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引き続きこちらも有名な人物ですね!ガマはポルトガル国王マヌエル一世の元で、1498年インドのカリカットへと到達し、インド航路開拓に成功しました。その後はインド総督に任ぜられるほど活躍したことも有名です。

commons.m.wikimedia.org

 エルナン=コルテス(1485〜1547)

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コンキスタドールと呼ばれたスペイン人の征服者で、アステカ王国を滅ぼしたことで知られています。1521年にアステカの首都であるテノチティトランを占領し、1523年にはメキシコ総督となった人物です。

 なぜかこの絵画のみ明確な元ネタがわからなかったので、そうっぽいリンクを貼っておきます。

texasexplorersinformation.weebly.com

フランシス=ドレーク(1540頃〜1596)

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地球儀と共に描かれているのが印象的な彼は、スペイン人植民地打倒を目指してアメリカ大陸へと向かい結果的に世界周航を成し遂げたイギリスの船乗りです。世界周航というと、前述の通りこのレストランの名前にもなっているマゼランが有名ですが、ドレークは彼に続いて世界で二番目に世界周航を成し遂げたとされています。また、1588年には副提督としてスペインの無敵艦隊を破ったりと、何かとスペインと因縁のある人物ですね。

www.wikigallery.org


カルロス1世(カール5世)(1500〜1558)

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以前の記事でもちらっと登場しました。名門ハプスブルク家出身のスペイン王にして、神聖ローマ皇帝としても君臨し、オーストリア、スペインを始めとしたヨーロッパの広大な土地支配し、息子フェリペ2世と並んでスペインの最盛期を築いた人物です。

www.art.com

余談ですが、彼の肖像だけ他の人物と比べて明らかに若いですよね。先ほどこのレストランの名前の元となっているマゼランがこのカルロス1世の後ろ盾を得て航海ということをお話ししました。実はマゼランがカルロス1世に謁見したとき、カルロスはまだ王となったばかりだったのです。そのころの若い彼の様子を示すためにこの肖像画が飾られているのでしょうね。

フェリペ2世(1527〜1598)

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カルロス1世の息子で、彼を継いでスペイン王となった人物です。彼はレパントの海戦オスマン帝国を破り、さらにポルトガルまでも併合してしまいます。スペインが「太陽の沈まぬ国」と呼ばれたのは彼の治世の頃ですね。またフェリペ2世の名が現在のフィリピンの名前の元になっていることでも有名ですね。

commons.wikimedia.org

ニコラス・クラッツァー(1487頃〜1550)

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ドイツの天文学者、数学者として知られた人物で生涯の多くをイギリスで過ごし、時のイングランドヘンリー8世天文学者に任命されています。日本ではあまり知られていない人物ですね。彼とともに様々な天文学における道具が描かれているのが特徴的な肖像画です。

commons.wikimedia.org

 ゲオルグ・ギーゼ(1497〜1562)

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こちらも日本ではほとんど名前を聞かない人物ですが、彼はドイツ商人の利益を目的としたハンザ同盟の中でも著名な人物として知られています。

ちなみにこの時代のこうした肖像画はその人物の商人としてのステータスを示すために描かれたと言われています。特にこの絵はそれが顕著に表れており、カーネーションや手紙、切手、蝋燭の破片などが象徴的に描かれているのが特徴です。

commons.wikimedia.org

 一概にマゼランズといっても様々な人物の肖像画が見られるということがお分かりいただけたでしょうか。ちなみに肝心のフェルディナンド・マゼラン肖像画についてですが、こちらはレストランに入ってすぐ横に飾られています。残念ながらそちらの写真は撮り損ねてしまったので、今後行く機会があったら改めて撮ってこようと思います。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!まだまだマゼランズのプロップスは紹介したいものがたくさんありますので、次回の記事にて続きを書こうと思います。

それでは!

マゼランズの天井画について

こんにちは!お久しぶりです。

ここ2週間ほど学校のテストの関係で更新ができませんでしたが、それも一段落ついたのでまたぼちぼち投稿を再開していこうと思います。

 さて、今回の記事はメディテレーニアンハーバー内にある高級レストラン「マゼランズ」についてのお話です。このレストランは以前からこのブログで紹介しているアトラクション「フォートレス・エクスプロレーション」の中にあるレストランです。f:id:Tsubasan0924:20201213170646j:plain

高級レストランというだけでここに入る機会なんてそうそうないと思われがちですが、実はマゼランズの上部にある「マゼランズ・ラウンジ」には飲み物の注文のみ予約なしで入れちゃいます。まだ中を見たことない方は是非ラウンジの方を利用してみてはどうでしょう?(とは言っても2020年12月現在ラウンジは利用できない状態ですのでお気をつけください🙇‍♂️)

 

それでは本題に入りましょう。下記の写真を見てもらえるとわかると思いますが、このマゼランズには天井に星座の絵が描かれています。

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天井に描かれている星座図

ただの星図と思いきや実は皆さんが小学校のときに使ったことのある星座早見盤とは決定的な違いががこれにはあります。言われてみてもピンとこないかもしれませんが、この天井画の星図は皆さんに馴染みのある早見盤と比べてみると星座がまったくの逆になっているのです。描いた人がうっかり逆に描いてしまった、わけではなくこれにはしっかりとした理由があります。

簡潔に言うとこの絵は地上から見上げた天の様子ではなく、天上から見下ろしたときに見える星座の様子を描いているんです。というのもこれは天球儀を元にして描かれているものであり、天球儀とは本来、天球を外側から見たように描くというルールがあるからなのです。

 

このように“逆“に描かれている星図が当時使われていた証拠として、このマゼランズの天井画にもれっきとしたモデルがあります。

それが17世紀の天文学者ヨハネス・へヴェリウスの描いた星図です。彼は自ら天文台を作り上げるほど天文学にのめり込み、月の地図を完成させたことで有名な人物です。さらに新しい星座を以前のものに10個ほど加えるなどもしており、そのうち7つは現在でも使われている星座です。

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へヴェリウスが描いたとされる星図

en.m.wikipedia.org

 先ほどの写真を引き伸ばして比べてみると星座の配置がほぼ完全に一致しているのがわかると思います。

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下の方を見ると一致しているのがわかりやすいです

 

さて、前回の記事でこのマゼランズの位置するフォートレス・エクスプロレーションが1538年に設立されたものだと紹介しました。

 

tsubasan0924.hatenablog.com

 一方当記事で紹介しているマゼランズの天井画はヨハネス・へヴェリウスのモデルから推察すると少なくとも17世紀以降に描かれたものだと思われます。要するにフォートレスの設立とこの天井画に描かれた時期には多少のずれが生じるのです。

ということはもしかするとマゼランズの天井に描かれている星図はフォートレス設立当時にはなかったものなのでしょうか、それとも少なくとも一回描き直されたものなのでしょうか。もし後者なのであれば当初の天井画がどのようなものだったか見てみたいものですね!

 

そんなわけで今日はマゼランズの天井画についてのちょっとしたお話でした。マゼランズにはまだまだ紹介するべきものがたくさんあるのでまた逐一書いていこうと思います。今回も最後まで読んでくださりありがとうございました🙇‍♂️

 

 

 

 

 

 

 

 

S.E.A.の設立が1538年ではない理由

 

こんにちは。Tsubasanです。今日はいきなりタイトルで結論を述べてしまっていますが、皆さんご存知の組織『S.E.A.』についての記事を書いていこうと思います。S.E.A.についての詳しい話は前回の記事をご参照ください。

tsubasan0924.hatenablog.com

 簡単に述べるとS.E.A.とはディズニーシー内のアトラクション「フォートレス・エクスプロレーション」で、そこを拠点としている組織のことを指します。

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S.E.A.の紋章



さて、ディズニーシーのファンの間では比較的有名な話ですが、このS.E.A.という組織の設立は1538年8月12日だとされています。このアトラクションについて扱ったインターネットの記事でもそう書かれていることが多いです。(海外ファンの方も毎年8月12日を『S.E.A. Day』として親しんでいることからこの話はかなり幅広く浸透しているようです。)

そんなファンの間ではもはや常識とまで言えるこの話を、真っ向から否定していくというのがこの記事の内容なのですが、そもそもこの話はどこからきたのでしょうか。

それが前回の記事でも登場したこちらの看板(?)です。

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この写真の下の方よく見ると、大きい数字の間に小さく字が書かれているのがわかります。

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写真がブレてて申し訳ないですが、よく見ると1538という数字の間に小さく"ESTABLISHED AUGUST 12th"と書いてあります。"establish"とは英語で「立ち上げる、設立する、確立する」という意味になります。つまりこの文を日本語に訳すと「8月12日設立」という意味になるんですね。それで脇の1538という数字から、S.E.A.の設立は1538年の8月12日ではないかという話になったわけです。

正直この看板から得られる情報としてはとても筋が通っていると思いますし、僕も始めはそうだと思い込んでいました。しかし冒頭でも話した通り、必ずしもそうであるとは言い切れない理由があるのです。

理由① 情報源の少なさ

S.E.A.の設立が1538年だとする情報が公式サイトや公式の文献に載っているものを僕自身今まで見たことがありません。(もちろん僕が見つけてないだけでどこかには書いてあるのかもしれません) いくらパーク内の看板に書いてあるからといって、そこに明確に書かれていない限り1538年をS.E.A.の設立年と断定するのは厳しいと個人的には思います。

理由② 表記されている場所

この「1538年8月12日設立」という表記はS.E.A.の紋章の下に書かれています。もしこれがS.E.A.の紋章そのものに書いてあれば、もう設立年月日と断定しても良いでしょうが、そうではありません。さらに言うとフォートレス内の数あるS.E.A.の紋章の中でこの年月日が書いてあるのはこの看板のみなのです。となると1538年8月12日という日はこの看板そのものと密接な関係があると結論づけて良いのではないでしょうか。

理由③"Established"の指すものの違い

S.E.A.の設立が1538年8月12日とする説は、看板下の"Established"がS.E.A.の設立を指しているという仮定のもと成り立っています。ではこの"Established"が指しているものがそうでないとしたらどうでしょう。

そのヒントとなるものが実は先程から登場している看板の中に書かれています。

看板には向かって左側に英語の原文が書かれており、向かって右にはその訳となる日本語が書かれていますが、左側の英文の上から7行目からそのヒントが書かれています。

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さて、上の写真の通りこの文中にも"Establish"という単語が書かれています。そして注目するべきなのは、それが指しているものです。Establishは他動詞なためその直後の語が目的語、つまり指しているものとなります。この場合"EXPLORERS' LANDING"すなわち「エクスプローラーズ・ランディング」のことを指していることになります。(エクスプローラーズランディングについても詳しい説明は前回の記事をご参照ください。)

何が言いたいかというと、看板下に書いてある"Established"もS.E.A.のことではなくエクスプローラーズ・ランディングのことを指しているのではないでしょうか。要するに1538年8月12日という年月日はエクスプローラーズ・ランディング確立の日ではないかということです。実際この看板自体エクスプローラーズ・ランディングの設立を示すためのものなので、かなり筋としては通っているのではないでしょうか。

理由④ 年代の矛盾

さて、ここまで長々と書いてきましたが結局のところ先ほどから僕が主張していることの理由はこれに尽きます。もしS.E.A.の設立が1538年だとするととんでもない矛盾が発生してしまうのです。

それがキャストさんの説明からもS.E.A.で最も有名なメンバーとされている、レオナルド・ダ・ヴィンチの存在です。

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歴史上ではダ・ヴィンチの生誕は1452年、死没は1519年とされています。もうお分かりでしょうが、これではダ・ヴィンチの死後にS.E.A.が設立されたことになってしまうのです。では彼は自らの死後幽霊となってS.E.A.のメンバーに加入したのでしょうか。そう考えることもできなくはないですが、当然かなり現実性に欠けてしまいます。明らかにS.E.A.の設立が1538年でないとする方が自然でしょう。

まとめ

それではこの記事のまとめに入っていきます。結論としては理由③の項目で述べたように、エクスプロラーズ・ランディングが確立した日が1538年8月12日ということではないでしょうか。しかしもちろんこの説も明確な情報源もなく完全に僕の憶測から生まれたものです。ですが、このように既に出回っている情報を鵜呑みにせず、自分で考えたり調べたりしてみることがディズニーシー本来の楽しさなのではないかと僕は思っています。(なんてそれっぽいことを言ってこの記事を締めたいと思います笑)

最後まで読んでくださりありがとうございました!よろしければ感想やコメントをくれると励みになりますので今後もよろしくお願いします🙇‍♂️

 

エクスプローラーズ・ランディングとは何なのか

エクスプローラーズ・ランディングについて

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はじめまして

自己紹介

 はじめまして!こちらのブログをご覧くださりありがとうございます。

僕の簡単な自己紹介をさせていただくと、ディズニーシーの好きな千葉県在住の一般高校生です。どうぞよろしくお願いします。ディズニーシーの建築やBGSなんかが特に好きです。

 当ブログについて 

 当ブログでは主に僕が東京ディズニーリゾートについて個人的に調べて発見したことや、感じたことや思ったことをまとめる目的で運営していこうと思っています。

メディテレーニアンハーバーが一番好きなテーマポートなのでそれ関連の話が多くなるかな?という感じです。その他パークについて思うことや日記的な目的でも、自由に好きなことを書くブログになると思います。

更新は不定期です!

ブログタイトルについて

ブログのタイトルをどうしようか悩みましたが、なかなか決定できずこのままだといつまで経ってもブログを書き始められないので現在仮タイトルをつけている状態です。現タイトルに特に深い意味はないです。どなたか良いタイトル案がある方がいたらお気軽にお声掛けお願いします!

 

追記( 2022年2月25日)

お陰様でブログタイトルが「舞浜海洋国家」という名前で正式に決定致しました!今後とも当ブログをよろしくお願いします。

追記終わり。

 

SNSとか

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