舞浜海洋国家

東京ディズニーシーの建築やBGSについてつらつら書くブログ

エクスプローラーズ・ランディングとは何なのか

エクスプローラーズ・ランディングについて

 

記念すべき一つ目の記事(自己紹介は除く)ということで何を書こうか迷いましたが、今回は一番好きなエリアということでエクスプロラーズ・ランディングについて個人的に考えていることをつらつらと書いていきたいと思います

 まずエクスプロラーズ・ランディングって何?という方のために説明すると、東京ディズニーシーに入ってまず見える火山の前にあるアレのことです。

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火山の前にある黄色っぽいやつです

言われてみればそんなものもあった気がする…なんて方もいるんじゃないでしょうか。実はこれひとつで 「フォートレス・エクスプロレーション」というアトラクションなんです。

ん?エクスプロラーズなんちゃらはどこにいったの?なんていう疑問もあるかもしれませんが、ここがまた難しいところで、簡単に言うと「フォートレス・エクスプロレーション」はアトラクションの名前で、「エクスプローラーズ・ランディング」はエリアの名前という違いです。エクスプローラーズ・ランディングという場所でできる体験がフォートレス・エクスプロレーションといった感じです。

(よくわかりませんねすみません。例えると「センター・オブ・ジ・アース」と「プロメテウス火山」の違いに近いでしょうか?🤔)

アトラクションの概要についてはスポンサーである日本ユニシスさんの公式サイトで上手くまとめられるのでリンク先をご参照ください

www.unisys.co.jp

 

 

さあこのフォートレス・エクスプロレーション(以下フォートレス)なんですが、公式サイトでは以下のような記述をしています。

冒険や発見に沸いた大航海時代のフォートレス(要塞)や停泊中のガリオン船の中を自由に歩いて探検しましょう。展望台や大砲、さまざまな航海用具などを自分で操作することができます。

 

めちゃめちゃあっさりしていますね。

言ってる事は簡潔でわかりやすいのですが、もう少し深く説明をすると、この要塞ではある団体がここを拠点として活動しています。

それが“Society of Explorers and Adventures“、通称「S.E.A.」と呼ばれる団体です。この団体は国籍を問わず、世界中の航海者や探検家、技術者や芸術家たちで構成されており、名誉会員にはレオナルド・ダ・ヴィンチクリストファー・コロンブスなどルネサンス大航海時代の著名な偉人もその名を連ねています。

(S.E.A.の設立については、下記画像に記されている1538年8月12日とする説が通説ですが、これに関して僕は確証がない以上違うと思っています。これについては今後機会があれば別の記事にて書きたいと思います。)

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真ん中に描かれているのがS.E.A.の紋章

フォートレスはどこにあるのか

ここから本格的にフォートレスすなわちエクスプロラーズ・ランディングについて考えていきたいと思います。まず重要なのはその位置する場所です。同じメディテレーニアンハーバー(以下ハーバー)でもモデルがイタリアとなっているポルト・パラディーゾ、パラッツォ・カナル(いずれもハーバー内にあるエリアの名前)とは舞台となっている地が違います。フォートレスは、大航海時代の要塞がモデルとなっているということから、当時航海の中枢を担っていたスペインもしくはポルトガルに位置する要塞と考えて問題はないでしょう。スペインかポルトガルかどちらかについてはまだ議論の余地がありそうですが、ここではイベリア半島に位置するという前提で話を進めていきます。

カルロス1世の砦

それではこの要塞は元々何だったのかという話に入っていきます。そりゃあそのS.E.A.とかいうのが拠点にするために作ったんじゃないの?と言ってしまえばしまえばそれまでですが、実は公式の文献にこんなことが書いてあります。

これはスペイン国王カルロス1世の避寒用施設として使われていた砦。そしてカルロス1世の統治期の終盤に、(中略)S.E.A.に譲渡され、世界中の探検家や冒険家たちが、この地へやってくるようになりました。 

これは講談社出版の「海の絵本」という書籍の記述です。

またこれだけでなく、かつて刊行されていた雑誌「ディズニーリゾート物語」の第13号にもこのような記述があります。

S.E.A.の活動拠点として16世紀にスペイン国王から譲渡され、海洋探検の発展に大きな役割を果たしてきた。

 

何と要塞がスペインの国王から譲られたものだというのです。カルロス1世というと世界史なんかを勉強していると登場する人物ですが、彼は時のスペイン国王でありながら同時にカール5世として神聖ローマ帝国の皇帝でもあったとんでもない人物です。ちなみに彼の肖像画はフォートレス内のレストラン「マゼランズ」にも飾られています。

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左の男性がカルロス1世、右の女性は王妃イサベル

それではこのカルロス1世がフォートレスを作ったのかということについてですが、これに関しても僕はそうではないと考えています。確かに一時的に彼がこの要塞を持っていたという事は否定できないのかもしれませんが、少なくとも建造に関しては彼の功績ではないんじゃないかと僕は思っています。

 黄金のドーム

 さてここでもう一度フォートレスの建築に目を向けてみると、一際黄金のドームが目を引くのに気づくはずです。中心のドームの他にも青や金で装飾されたドームが複数見られることが分かると思います。

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写真の都合上、少し黒ずんで見えますが紛れもなく黄金のドームですね

 

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青と金の色彩が綺麗です

僕はディズニーシーの建築や絵画のモデルについて調べるのが大好きなんですが、どうも色々な西洋建築を調べてみてもこのように派手に金を使用したドームの建築はほとんど見つかりませんでした。西洋建築では、です。

もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんがこのように派手な配色のドームはどちらかというとイスラームで主流な建築様式です。イエルサレムにある「岩のドーム」なんかを見てもらえるとわかると思います。ja.wikipedia.org そしてイスラームといえば同じくディズニーシーにあるアラビアンコーストには青と金のこんなドームがあります。少し強引な考えですかね...?笑

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青と金、どことなくフォートレスのドームと似ていませんか...?

イスラーム世界との関わり

 ちょっと待った、ずっとメディテレーニアンハーバーの話をしていたのに、どうしてイスラームが出てくるの??なんて思う方も多いでしょうがこれにも深い理由があります。

先ほどフォートレスの位置する場所がイベリア半島ではないかという話をしましたがこれが関係してきます。歴史的に見るとイベリア半島はヨーロッパでありながら、8世紀から15世期まで東のイスラーム王朝の支配を受けていたという背景があります。そのため今でもスペインではイスラームのモスクや宮殿が多く残っています。

実際アラビアンコーストにあるこちらの噴水のモデルは、スペインのアルハンブラ宮殿にある噴水だったりします。

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イスラームのエリアなのにモデルがスペインにあるなんて何だか不思議な感じですね

以上の理由から、フォートレスのドームなどの装飾は、当時イベリア半島を支配したイスラーム人たちによって施されたものと結論付けても良いのではないでしょうか。となるとフォートレスとイスラームとの関わりが少なからず重要になってきそうです。

古代文化の継承

ヨーロッパにおけるイスラームが果たした役割、それについてはいくつかありそうですが、中でも大きいものに古代ギリシアやヘレニズム文化の継承というものがあります。これら古代で発達した知の遺産は古代の終わりとともにヨーロッパでは地に埋もれることになってしまいます。ここで登場したのがイスラームの国々です。彼らはこれら古代の文化を継承し、さらに発展させていくことで成長していきます。その後それら古代の遺産は12世紀、そして14世紀に起こったルネサンスの時にヨーロッパへと受け継がれていくことになるのです。

その際に欠かせないのが、一度はイスラームの言語に翻訳された古代の書物や、イスラーム独自のものを、当時ヨーロッパで使用されていたラテン語に翻訳する作業です。その大掛かりな翻訳作業が行われたのが、当時ヨーロッパとイスラームを中継する地であったイベリア半島だとされています。 つまりこのフォートレスも、翻訳作業が行われていた場所の一つだったと考えると面白くないですか??

実際フォートレスには、イスラームからヨーロッパへと継承されたという錬金術を研究する部屋まであります。

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錬金術師の部屋「アルケミー・ラボラトリー」

それだけではありません。フォートレス内には「エクスプローラーズ・ホール」という、16世紀までの人物の肖像画や絵画が描かれている部屋があり、そこでは古代ギリシアから大航海時代までの様々な偉業を見ることができます。これほど長い期間の歴史的情報がなぜこの要塞に集められているのか。これこそまさにこの場所が当時のヨーロッパとイスラーム、古代ヘレニズム文化の交わる地点だったからではないでしょうか。

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エクスプロラーズ・ホール

まとめ 

思った以上に話が長くなってしまいましたがまとめに入っていきます。これはあくまでも僕の個人的な見解ですが、エクスプローラーズ・ランディングという場所はかつてイスラームから継承された文化を翻訳する場所、もしくはそれに関連する施設であったと考えています。その後何らかの形でS.E.A.という団体が登場し、この文化や歴史の宝庫であるフォートレスを拠点として活動してきたのではないでしょうか。ですがこれではこの建物の起源については解決しませんし、そもそも要塞なので要塞としての役割ももちろんかつてはあったのだと思います。いずれにせよ今回の話は、明確な根拠がない以上僕の妄想の域を出ないので、そういう意見もあるのね程度に見てくれれば大丈夫です。

最後まで読んでくださりありがとうございました!よろしければご意見やコメントを書いてくださると助かります🙇‍♂️