皆さんこんにちは!つばさぬです。
夏ももう終わりということで、いい加減ブログを更新したいと思います。前の記事が昨年の12月だったので9か月も更新していないことになりますね...楽しみに待ってた方がいらっしゃれば申し訳ないです🙇♂️
さて、今回のテーマは今まで何気に触れてこなかった「船」についてです。
言うまでもなく『フォートレス・エクスプロレーション』は大航海時代をテーマにしたアトラクションであり、フォートレス内のレストラン『マゼランズ』は人類史上初めて世界一周を成し遂げた、かのマゼラン(※厳密には世界一周を成し遂げたのは彼の船団)から名前がつけられています。ですのでフォートレス内全体で当時の帆船を見ることができるのは当然ですね。
なお、今回はあくまでも船舶について事細かに解説するものではなく、ざっと俯瞰するというイメージで書いていこうと思います。タイトルで「学ぼう」とは言っているものの、自分自身船舶に関しては浅学ですので、ご指摘等ありましたら是非お願い致します。
目次
大航海時代以前
大航海時代の船を見る前に、それ以前はどのような船が使われていたのかを見ていきましょう。フォートレスの一室『エクスプローラーズ・ホール』でそれらを見ることができます。
ガレー船
それまでヨーロッパ世界で広く使われていたのがガレー船です。古代ギリシャ時代から大航海時代初期まで使われていたのがこの船で、櫂(オール)を用いて人力で推進力を得るのが特徴でした。帆も搭載しており、順風時などに消耗を抑えるのに使われていました。
風向きの変化しやすい地中海において、人力駆動であるガレー船は風向きに左右されにくく、高い機動性を確保できたことにより、軍用としても重宝されました。
しかし、大航海時代に入ると様々な問題点が浮き彫りになります。多くの漕ぎ手を必要とするため、経済的に効率が良いとは言えず、またオールを水面に届かせるために船体が平たくなっているため、荒波に非常に弱いといった欠点がありました。
よって遠洋航海には向かず、大航海時代に入って徐々に衰退していったとされています。
ダウ船
ヨーロッパに対して対してイスラーム諸国の商人たちが使用した船がダウ船です。
その起源は紀元前にさかのぼるともされていますが、7世紀以後、イスラーム商人らがインド洋に進出したことで、急激に普及しました。
紅海、インド洋、ペルシャ湾で広く使われ、大きな三角形の帆を持っていることが主な特徴です。ディズニーシーではアラビアンコーストにて実物大のものを見ることができますね。
後述のキャラベル船はこのダウ船を参考にして開発されたともいわれています。
ジャンク船
大航海時代以前において、世界最大の海運力を持っていたのは中国でした。船舶建造の技術、航海術、海図製作、航海の経験において中国にかなう国はなかったとされています。
そんな中国が用いた代表的な船がジャンク船でした。
四角形の帆が特徴的で、インド洋にまでその航海の範囲を広げます。明朝時代に大航海を行った鄭和(1371~1434)が用いたとされるのもこのジャンクで、その艦隊は約800トン級と、後述のキャラベル船、キャラック船と比べるとその規模感がうかがえます。
キャラベル船
大航海時代の先陣を切ったのはポルトガルでしたが、その躍進に欠かせない存在であったのがキャラベル船でした。名称は不明ですが、フォートレスに一隻停泊しているのを見ることができます。
この船の開発に乗り出したのがポルトガルのエンリケ航海王子(1394~1460)であり、彼は探検事業を始めるにあたって、造船技術者らを集めこの船を完成させました。
全長は20~30m、2~3本のマストにそれぞれ三角帆がついているのが主な特徴でした。そのスマートな船体は軽やかな機動性と少人数での運用を可能にし、当時の探検家たちにとっては極めて有用だったとされています。アフリカ大陸の最南端である喜望峰を発見したバルトロメウ・ディアス(1450頃~1500)もこのキャラベル船で航海したといいます。
フォートレス内では至る場所でこの船を見ることができます。フォートレス内の一室『ナビゲーションセンター』で操縦できる船もその特徴からキャラベル船であると推測できます。
また、フォートレスの中央のドームの頂点には金色に輝くキャラベル船の意匠を見ることができます。大航海時代により栄華を誇ったスペイン・ポルトガルの功績を象徴しているかのようですね。
キャラック船
キャラベル船と同じ頃誕生したもう一つの画期的な船がキャラック船です。
この船はキャラベルに比べて機動性では劣りましたが、3~4本のマストに太い船腹、船首・船尾には上甲板よりも2~4層高くなった楼閣をそなえており、貨物の大量輸送を可能にしました。そのため遠洋航海に適しており、後述のようにコロンブスやマゼランが用いたことからも、この船が優れていたことがうかがえます。
余談ですが、その有用性からミッキーたちもこの船を用いて航海していますね。
サンタ・マリア号
キャラック船の代表、どころか船の歴史においても高名なのがこのサンタ・マリア号です。レストラン『マゼランズ』にてその模型を見ることができます。
それもそのはず、サンタ・マリア号はかのクリストファー・コロンブス(1456~1506)がアメリカ大陸を発見したとされる第1回航海にて使用したもの。重量は約108トン、船員は40名ほどだったとされています。
彼はスペイン王室の後ろ盾で、旗艦のサンタ・マリア号、ピンタ号、ニーニャ号とともに航海に出発し、大西洋を横断、スペインからカリブ海のサンサルバドル島に到着しました。しかし残念ながら、その後イスパニョーラ島にてサンタ・マリア号は座礁し、その最期を迎えてしまいます。
細かい箇所も見ていきましょう。後述のヴィクトリア号とサン・フランシスコ号にも共通していますが、船には城と獅子が描かれているような旗が掲げられています。
これは現在スペインのあるイベリア半島に存在していたレオン王国のシンボルである獅子とカスティーリャ王国の城が合わさったものだと考えられ、現在でもカスティーリャ・イ・レオン自治州の紋章としてこの図像が使われています。
余談ですが、『エクスプローラーズ・ホール』でも似たような紋章が確認できます。
こちらも後述のヴィクトリア号とサン・フランシスコ号にも共通していますが、船の上部に緑の十字架と"F" "J"と書かれているのが確認できます。初めは何の略称なのか見当もつきませんでしたが、注目すべきはそれぞれの文字の上に王冠が載っていることです。
これは恐らくアラゴン王国の国王フェルディナンド2世(Fernando el Católico)とカスティーリャ王国女王のイサベル1世(Isabel la Católica)のことを指していると思われます。
2人はスペイン王国を共同統治したカトリック両王として知られ、両王の結婚によりスペインが統一したとされています。コロンブスの航海時にスペインを治めていたのも彼らでした。
なお、イサベルのイニシャルは"I"なのに、なぜ"J"表記となっているのかという疑問点が生じますが、かつてアルファベットの"I"と"J"は区別されていなかったようなので"I"と解釈して問題ないでしょう。
※上記絵画に関しまして、HAMAchan1966様(@Hamachan1966)にご指摘いただきました。ありがとうございます🙇♂️
サン・ガブリエル号
ヴァスコ・ダ・ガマ(1460頃~1524)が用いたとされるキャラックがサン・ガブリエル号です。それらしき船が『エクスプローラーズ・ホール』にて、彼の肖像画のそばに描かれているのを確認することができます。
両国間で問題となっていた争いを避けるため、スペインとポルトガルが結んだトルデシリャス条約によって、ポルトガルはインド洋の領有権を得ます。
そこで、インド航路の開拓を目指すために航海に出たのがヴァスコ・ダ・ガマでした。彼は旗艦をサン・ガブリエル号とする計4隻のキャラック船で出航します。彼は喜望峰を通過してポルトガル人にとって未踏の地へと進出しますが、そこは既にイスラム商人たちのネットワークが形成されている領域。
敵対するイスラム商人に行く手を阻まれながらも、イスラム教徒の水先案内人を雇うことができた一同は無事にインドのカリカットへと到着します。
初めは現地の領主と友好関係を築こうとしていたガマでしたが、ポルトガル進出をよく思わないイスラム商人の謀略があることに気づくと一転、強硬手段に出て貿易許可を得ました。これにより、その後のポルトガルは武力行使による制圧もいとわないという方針へと切り替わったとされています。
ヴィクトリア号
代表的なキャラック船としてもう1つ挙げられるのがヴィクトリア号です。『マゼランズ』の名前の元となったフェルディナンド・マゼラン(1480~1521)がその航海で用いた船です。
マゼラン自身はポルトガル人でありながらも、彼はスペイン国王カルロス1世の出資を受けて航海しているので、前述のサンタ・マリア号のようなスペインの意匠が模型には見られます。
ヴィクトリア号はマゼラン艦隊の中で唯一世界周航を果たした船として知られています。
マゼランは旗艦をトリニダード号として5隻の船を用いて出航し、大西洋から太平洋へと渡る海峡を発見することに成功しましたが、航海の途中彼がフィリピン諸島で無念の死を遂げた際、船隊は3隻となっていました。
最終的に旗艦トリニダード号も激しい損傷により航海を断念することとなり、残ったのは重量約85トン、大きさは5隻のうち下から2番目であったヴィクトリア号でした。
出航時270名ほどいた船員の内、生還したのはわずか18名だったことからもその航海の凄惨さが伺えますよね。
ガレオン船
16世紀の中ごろに登場したのがお馴染みガレオン船です。
キャラック船の積載量と扱いやすさ、長距離航海への適正といった特長を引き継ぎつつ、弱点であった機動性を補填した船でした。
キャラックよりもシャープな船体、スリムな船底を持ち、従来より高いマストを3~4本そなえていたため、大型でありながら速度を出せるようになったことが特徴として挙げられます。また、キャラックの特徴であった高い船首、船尾楼は低めに抑えられ、喫水線上(船体と水面が交わる線)の重量を減らす工夫がなされました。
ガレオンは商用だけでなく軍用としても非常に優秀で、その機動性と頑丈さは大きな武器となります。そのため、16世紀末には戦場が地中海から外洋にうつったこともあり、各国の主力艦はガレオンへと切り替わっていきました。
『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズに登場するブラック・パール号やフライング・ダッチマン号もこのガレオン船をモチーフとしていると言われています。
ルネサンス号
東京ディズニーシーを代表する帆船といえば、やはりルネサンス号が挙げられるでしょう。
『マゼランズ』の船の模型の中にこのルネサンス号も確認でき、より正確な全体像を見ることができます。
Google Maps測定によれば全長はおよそ30mほど。後述のゴールデン・ハインド号が36mほどだったそうなのでおおよそ近いスケールになりますね。
また、東京ディズニーシーでかつて配られていたストーリーペーパーのようなものには、ルネサンス号の船内の構造が描かれているのを見ることができます。
さてこのルネサンス号ですが、具体的にどこの国のものでどのような航海をしてきたのか、といった情報は明かされていません。情報がないなら考察すればいいじゃない、ということで考察という名の妄想をしていきましょう。
まずは船の外観から。船首、船尾にはお馴染みS.E.A.(Society of Explorers and Adventurers)の紋章が確認できます。しっかりと"Renaissance"(ルネサンス)の字も書かれていますね。この船はS.E.A.のものと見て間違いなさそうです。
船首の旗にもしっかりとS.E.A.の紋章があります。
船尾の旗を見てみましょう。S.E.A.の紋章の下にも小さく描かれることのある「双頭の鷲」が描かれています。これは当時神聖ローマ帝国(現在のドイツ・オーストリア圏)を治めたハプスブルク家の象徴として知られていますね。
ハプスブルク家といえば、S.E.A.にこのフォートレスを譲り渡したとされるカルロス1世(1500〜1558)の名が挙げられます。彼は神聖ローマ皇帝でありながら、スペイン国王も兼任した人物であるので、双頭の鷲はこの頃のスペインの国章にも取り入れられています。よってこのルネサンス号は敢えて国名を挙げるとすれば、スペイン船であると言うことができるでしょう。
船内も少し探ってみましょう。
船長室を覗くと、ある女性の肖像画を目にすることができます。
この女性はエリザベート・ド・ヴァロワ(1545~1568)という人物。彼女自身はフランスの王妃でしたが、フランス・スペイン間の条約を結ぶため、スペイン国王フェリペ2世(カルロス1世の息子)と結婚することになります。このことからルネサンス号はやはりスペインと関係あることが伺えます。
船長室には他にも、どこかの地図を見ることができますが具体的などこの地形なのかはわからず...(見つけられた方、教えてください。)
ですが、船長の机の上に乗っている本には現在の南アメリカ大陸南端の地図のようなものが描かれています。現在の地図ほど精巧とはいきませんが、前述したマゼラン海峡がしっかり描かれていることがわかります。
さらに、南アメリカ大陸の端までしっかりと描かれていることも注目ポイントです。というのも後述のフランシス・ドレイクが南アメリカ大陸と南極大陸の間に海がある(ドレイク海峡)ことを発見するまで、マゼラン海峡の下の土地(フエゴ島)と当時発見されていなかった未知なる南の大陸が繋がっていると考えられていたためです。
ルネサンス号はもしかしたら、はるばるヨーロッパから南アメリカ大陸まで航海した、もしくは航海する予定だったのかもしれませんね。
ゴールデン・ハインド号
大航海時代におけるガレオン船の代表ともいえるのがこのゴールデン・ハインド号です。この船の船長として名高いのが、マゼランに続いて史上2番目に世界周航を果たしたとされる海賊フランシス・ドレイク(1543~1596)です。彼の肖像画は『エクスプローラーズ・ホール』にも飾られています。
イングランド出身のドレイクは、若い頃彼が船長として参加していた船団がスペイン海軍により壊滅させられて以降、その敵意から生涯にわたりスペインを獲物とする海賊になります。そのあまりに苛烈な略奪行為に、スペイン人たちは彼を「エル・ドラコ」(悪の化身であるドラゴンの意)と呼んで恐れたとされています。
彼は、イングランドがスペインの無敵艦隊を打ち負かした1588年のアルマダの海戦においても実質的な司令官として活躍しました。まさにスペインの天敵だったわけですね。
なお、この帆船模型がゴールデン・ハインドである確証はありませんが、こちらやこちらの画像のイメージと近いものとなっています。
イングランドの船よろしく上部には白地に赤い十字の旗が掲げられています。
中央の帆に書かれた"ER"の文字は、恐らく時のイングランド女王エリザベス1世の略称のこと。文字の間にある赤い薔薇はテューダーローズと呼ばれるテューダー朝の紋章かと思われます。彼女はテューダー朝最後の君主としても知られています。
サン・フランシスコ号
『マゼランズ』に模型が置かれているこちらのガレオン船、前述のサンタ・マリア号やヴィクトリア号と同じく、スペインの意匠があることからスペイン船であることがわかります。
以下のリンク先に同じものと見られるものがあったので、おそらくサン・フランシスコ号という船だと思われます。
サン・フランシスコ号は、前述のアルマダの海戦においてスペイン無敵艦隊の一隻として招集された船とされています。
調べていくと、どうやらこのサン・フランシスコ号は日本、ひいては東京ディズニーシーのある千葉県と縁のある船のようです。
この船は、スペインの植民地であったフィリピンのマニラとメキシコのアカプルコを往復する船であった通称「マニラ・ガレオン船」のうちの一つでした。
1609年、マニラからアカプルコへと他二隻の船とともに出航しますが、6度もの台風に遭い、60日もの間漂流することになります。結果として現在の千葉県御宿町に位置する上総国夷隅郡岩和田村沖で座標・漂着しました。
岩和田村民は上陸した船員たちに対して、宿舎や衣類、食物などを与え彼らの救助に尽力します。最終的に将軍徳川家康の指示の下、三浦按針(ウィリアム・アダムス:家康に仕えたイングランド人)の協力を仰いで、メキシコに帰着しました。
この出来事は、スペイン、メキシコ、日本の交流の礎となり、サン・フランシスコ号は三国の交流、海域史において重要な存在となっているそう。そんな船が日本の東京ディズニーシーに置かれているのはなんだか象徴的ですね。
終わりに
というわけで、今回はフォートレス・エクスプロレーションにて見ることのできる船舶についてお話ししました。西洋の人々が大海へと歩みだした大航海時代を象徴する船舶から当時の栄華と彼らの情熱が伝わってくるようです。
海をテーマにした東京ディズニーシーでは他にも様々な船舶を見ることができます。それらの船がどのように航海してきたのか、またこれからどのように航海していくのかを想像するのもディズニーシーの楽しみ方の一つなのかもしれませんね。
毎度のことながら、当ブログで話していることは決して確定的な情報を伝えるものではありません。あくまでも筆者が考えたこと、妄想したことがもとになっており、主観、願望が反映されたものになっていることをご了承ください。
最後まで読んでいただきありがとうございました!🙇♂️
ご意見、ご感想、リクエスト等あれば是非お願い致します。今後ともお付き合いいただければ幸いです。
それでは!