舞浜海洋国家

東京ディズニーシーの建築やBGSについてつらつら書くブログ

ナビゲーションセンターは平面の地球なのか

こんにちは!

最近、僭越ながら当ブログを褒めていただいたり紹介してくださる機会が多くなってとても嬉しい限りです。どうぞこれからもよろしくお願いします🙇‍♂️

さて、このブログでは東京ディズニーシーのアトラクション「フォートレス・エクスプロレーション」について色々話しているわけですが、その中の一室『ナビゲーションセンター』をご存知でしょうか。

『ナビゲーションセンター』

これまた天井に描かれた星や雰囲気が美しい部屋ですよね!現在もフォートレス内で配布されている公式のペーパーでは以下のように紹介されています。

冒険心が旺盛な者には「ナビゲーションセンター」でガリオン船の操作に挑戦して欲しい。航海ではたくさんの困難が待ち受けている。

この部屋では水面に浮かぶ模型の船を自分で動かすことができ、雨が降ったり海の怪物が出てきたり渦巻きが発生したりと、航海における困難も体感することができます。ちなみに公式のペーパーには「ガリオン船」と書いてありますが、これらの船の模型は三角形の帆が2つという特徴からキャラベル船であることがわかります。キャラベル船は原寸大のものがフォートレスにも停泊していますね。

キャラベル船の模型

フォートレスに停泊中のキャラベル船

ナビゲーションセンター=平面地球説

さて、それでは本題に入りましょう。この部屋ですが公式のガイドブックではほとんど以下のような説明がなされています。

16世紀当時の船の模型を、ラジコン操縦して遊ぶことができます。この時代、地球は平らで、あまり遠くまで行くと、船は地球の端から落ちてしまうと信じられていました。8隻のラジコン船が進むのは、その平面な地球です。

『完ペキ攻略ガイド 東京ディズニーシーのススメ (Disney Guide Series)』(2002) 講談社 102頁より

要は16世紀当時ヨーロッパでは地球は平面だと信じられており、ナビゲーションセンターはそれが示されている部屋だということですね。上記はディズニーシー開園当初のガイドブックの説明ですが、現在に至るまでほとんどの公式ガイドブックで同じような説明がされています。以前ナビゲーションセンターを訪れた際にキャストさんからも同じような話を聞けたことから、公式のBGSとしてはこの話が採用されているようですね。

確かにナビゲーションセンターのジオラマには大陸や島の造形があり、まるで平面の地球の上を船が航行しているようにも見える他、世界の果てを示すように円形のマップを炎のような造形が囲んでいます。

ナビゲーションセンターのジオラマの全体像

実際「中世ヨーロッパではキリスト教の教えにより、地球は平面だと信じられていたが、近世に入ってコロンブスが地球球体説を信じ西廻り航路の開拓でそれを証明した、もしくはマゼランの世界一周によって証明された」といったことはよく聞く話ですよね。

しかし結論から述べてしまえばこの話は誤りであるとされています。古代ギリシアにおいて地球が球体である説が唱えられると、それ以降ヨーロッパでは(少なくとも知識人階級の中では)地球が丸いことは常識だったと言われているんですね。確かにコロンブスやマゼランは地球が球体であることを証明こそしましたが、それ以前から地球が丸い形をしていることはよく知られていました。

フォートレス内の部屋『エクスプローラーズ・ホール』では古代ローマ時代の天文学者プトレマイオス(83〜168頃)の天球儀の絵を見ることができますが、その中心には球体の地球が据えられています。(この絵の元ネタ自体は、調べてみると1515年にパリで刊行された天文学者プールバッハの『惑星の新理論』の挿絵であると出てきます。:下記リンク参照)

プトレマイオス(右)と彼の天球儀が描かれている

天球儀の中心には球体の地球が

プトレマイオスの完成させた天動説の理論はその後のヨーロッパに絶大な影響を与え、伝統的に引き継がれていったことから当然それ以降の西洋人は地球が丸いことを知っていたはずですね。

ja.m.wikipedia.org

地球が球体をしていることを述べている、または前提としている中世ヨーロッパの文献は多く残っているようですが、中でも有名なのは中世後期フィレンツェの詩人ダンテ・アリギエーリ(1265〜1321)の『神曲です。『神曲』は「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」からなり主人公のダンテが古代ローマの詩人ウェルギリウスの案内で地獄から天国までを巡る叙事詩。イタリア・ルネサンスの先駆けともなったイタリアを代表する世界的な文学とされています。

ja.m.wikipedia.org

神曲』の「地獄篇」第26歌では以下のような記述があります。

もう一方の半球にある全天の星が
夜には見えるようになり、そして我らの半球の空は沈み、
水平線から浮き上がることもなくなっていた。

ダンテ・アリギエリ(著)原基晶(訳)『神曲 地獄篇』(2014) 講談社学術文庫 394貢より

このように北半球と南半球で見える星が異なることに言及されています。これは地球が平面であれば起こり得ない現象の一つです。

さらに第34歌では、地獄の底でウェルギリウスがダンテにこう語らいます。

私が降りている間は、おまえはまだ向こう側にいた。
だが、私が自分の体の向きを逆にした時、おまえは越えた、
重さある者があらゆる場所からそこに引かれるかの点を。

そして今おまえは南半分の天球の下に着いた。
これとは逆の側にあるのが、広大な乾いた大地を
覆う空の半球だ。

ダンテ・アリギエリ(著)原基晶(訳)『神曲 地獄篇』(2014) 講談社学術文庫 508貢より

この「地獄篇」のラストではダンテは、困惑しながらも、地獄から地球の中心をとおって地球の反対側にある煉獄山へと辿り着いています。また重力が地球の中心に向かっていることも記述されていますね。このような記述からもダンテが地球が球体をしていることを前提として詩を歌っていることがわかります。「中世ヨーロッパでは聖書の教えに従って地球は平面だと信じられていた」とも思われがちですが、実際はこのように、寧ろ地球が球体であることがキリスト教的世界観と結びつけられていました。

ここでは分かりやすい例としてダンテの『神曲』について紹介しましたが、彼だけでなく古代から中世にかけて多くの西洋人が地球が丸いことを示す文献を残しているそうです。出典元が怪しいものもありますがこの話については以下のリンク先でよくまとめられているので興味のある方は見てみてください...!

ja.m.wikipedia.org

ここまでの話でわかるように、当然フォートレスの舞台となっている16世紀に地球が平面であることを信じていた人は知識階級の中ではほぼいなかったということになるので、ナビゲーションセンターも平面の地球を示したものではないと考える方が妥当な気がします。

ナビゲーションセンター=海図説

ではナビゲーションセンターにあるものが平面の地球を示したものではないとすると一体何なのでしょうか。僕はこれは船の動きをシミュレーションするための海図にすぎないと考えています。

その証拠にナビゲーションセンターのマップをよくよく見てみるとコンパスのようなものが3つ描かれているのがわかると思います。

マップ上には3つの羅針図が描かれており、フルール・ド・リスの意匠が北を、十字架が東を指している

これは羅針図(compass rose)と呼ばれるもので東西南北の方位を示すために海図や地図に描かれるものだそうです。当時のものは北側にフルール・ド・リスというアヤメの花の意匠が、東は西欧から見たエルサレムの方角ということから十字架が描かれていたそうで、それがしっかり表されていますね。

ja.m.wikipedia.org

ja.m.wikipedia.org

このような羅針図はホテルミラコスタ内でも見ることが出来ます。ミラコスタのロビーにある下記の地図は16世紀後期に描かれたイタリアの地図で、現物はバチカン美術館の地図のギャラリーに描かれています。

ミラコスタロビーにある16世紀のイタリアの地図

この地図の中心から少し左下の方に目を向けると、どこか太陽のようにも見える16方位を示した羅針図が描かれているのがわかります。

16方位の羅針図が描かれている

commons.wikimedia.org

また創作物ではありますが、ミラコスタのロビーに飾られているディズニーシーを模した地図や客室にある地図にもしっかりと羅針図が描かれているのがわかりますね。

ミラコスタロビーのディズニーシーを模した地図の羅針図

ミラコスタ客室にある地図の羅針図

このように地図や海図に描かれる羅針図がナビゲーションセンターにも描かれていることから、ナビゲーションセンターのものは海図であると推測できます。

ちなみに羅針盤の北側にフルール・ド・リスを描くというのは割とポピュラーなようで、ミラコスタのロビーにある羅針盤レリーフにもしっかりとフルール・ド・リスが刻まれています。f:id:Tsubasan0924:20231220223013j:image

羅針図についてもう一点検討したいことがあります。当然それは羅針図の示す方位についてです。もしナビゲーションセンターのジオラマが平面の地球を示しているのだとしたら、我々が住んでいる実際の地球をそのまま平面にすると考えなければならないため、当然平面の地球の中心は北極点であると考えられるはずです。(現代でも地球平面説を主張する人はそのように考えています。)

しかし、ナビゲーションセンターのマップでは3つの羅針図の北は中心を指していません。下記画像のように羅針図の北側はそれぞれ同じ方向を指しており、北極点は少なくともこのマップの外にあることがわかります。このことからもこのマップは地球全体を示したものではなく、ある特定の海域を示した海図にすぎないことがわかりますね。

円で囲った3つの羅針図が指す方位から、
この写真の右上の方が北であることがわかります

炎の謎

ここまでナビゲーションセンターのマップは海図であるという話をしましたが、そうなるとマップを囲んでいる炎のようなものは何だという話になりますよね。

マップの周りには燃え盛る炎のような装飾が

まるで地獄の業火のようにも見えますが、ここで今一度ダンテの『神曲』に立ち返ってみましょう。『神曲』の「地獄篇」第26歌では、古代ギリシアの詩人ホメロスが『オデュッセイア』で謳いあげたトロイア戦争の英雄オデュッセウスが登場します。(有名な「トロイの木馬」を考案した人物ですね。)『神曲』におけるオデュッセウスは世界の真理を探求するため、ギリシア神話の英雄ヘラクレスが残した警告を無視してジブラルタル海峡を超え大西洋に出て、南半球に到達します。(この時の場面が先程引用したものです。)しかし神の意志に背くこの行為はその怒りを買ってしまいます。

私達は喜びに沸いた、が、すぐにそれは嘆きに変わった。
あの新たな大地から一つの竜巻が起こり
船首に襲いかかったのだ。

船を海ごと巻き込んで三度転がし、四度目に船尾を跳ね上げ
船首を海に沈めていった、あの方のお望みどおりに、

海が我らの上でついに再び閉じられるまで

ダンテ・アリギエリ(著)原基晶(訳)『神曲 地獄篇』(2014) 講談社学術文庫 394-395貢より

このように大西洋まで進み南半球を目指したことで神の怒りを買ったオデュッセウスは、船ごと海に沈められ、その後世界の終末まで地獄の業火に燃やされ続けることになるのです。

地球が平面だとは考えられていなかったにせよ、神の意志に背いて航海をした者(=マップの外へと踏み出そうとした者)は地獄へ落ちる運命にある、ナビゲーションセンターの炎にもこのような思想が反映されているのかもしれません。

終わりに

本記事ではナビゲーションセンターが平面の地球を表したものではないのではないかという話をしました。僕はこの部屋のマップは海図に過ぎず、この部屋自体の用途としては航海のシミュレーションや演習、練習をするための部屋ではないかと考えています。そう考えれば様々な困難を予測したギミックがこのマップに取り付けられているのも納得がいく気がします。
「ナビゲーション」と聞くと現代では車などに取り付けられたナビのことを考えてしまいますが、本来英語の"navigation"には「航海」「航海学」といった意味があります。まさしくこの部屋は航海について学んだり話し合ったりする場なのでしょう。

最後に断っておきますが、本記事で話したことはあくまで僕個人の見解(妄想)であり決して確定的な情報を伝えるものではありません。公式で定められているBGSは、僕の見解とは別に確立されていますのでご了承ください。

最後まで読んでいただきありがとうございました!🙇‍♂️この他にもフォートレスの各部屋については書きたいことがいっぱいあるのでいずれお話できればと思います...!

それでは!

参考文献

・(2002)『完ペキ攻略ガイド 東京ディズニーシーのススメ (Disney Guide Series)』講談社

・スティーヴン・ジェイ・グールド(著)新妻昭夫他(訳)(2007)『神と科学は共存できるか?』日経BP

・ダンテ・アリギエリ(著)原基晶(訳)(2014)『神曲 地獄篇』講談社学術文庫 

エクスプローラーズ・ランディングはどこにあるのか

こんにちは!

最近明らかにブログの更新頻度が上がっているつばさぬです。前回の記事も自分の想像以上の反響を頂きまして、大変嬉しい思いです。改めてありがとうございます!!🙇‍♂️

さて、先日リハブ(休止期間)が終わりちょっとそたリニューアルがあったりと最近何かと話題のフォートレス・エクスプロレーションですが、当ブログではこのアトラクションのあるエリア『エクスプローラーズ・ランディング』がイベリア半島を舞台としているという話を度々してきました。

エクスプローラーズ・ランディング』

一応の理由としては大航海時代を舞台にしている要塞なので、それを担ったスペイン、ポルトガルが舞台になっているよねという前提のもとにたっています。tsubasan0924.hatenablog.com

しかし、公式の文献などを読んでみるとどうやらそうではないようなのです。2006年に講談社さんから出版された『海の絵本』によれば、メディテレーニアンハーバー全体にこのような物語があるとされています。

16世紀初頭、この港は古代ローマ時代の遺跡周辺に築かれた、小さくひなびた漁村にすぎませんでした。ただ一つ、ほかと違っていたのは対岸に見える壮麗な要塞です。これはスペイン国王カルロス1世の避寒用施設として使われていた砦。そしてカルロス1世の統治期の終盤に、船乗りや科学者、技術者、芸術家のグループで構成される国際的な学会S.E.A.に譲渡され、世界中の探検家や冒険家たちが、この地へやってくるようになりました。この要塞に頻繁に足を運んだのが、港の裕福な地主、サンビーニ家の人々です。探検家ではありませんでしたが、S.E.A.の知識や業績に感銘を受け、今後の発展に寄与できるよう、高台に自分たちの別荘を建てました。その後、ホテルや店、レストラン、ワイナリーなどの事業を始め、300年以上にわたって、発展していきました。そして、近代的な世の中になっても、スペイン国王からS.E.A.に譲渡されたことから始まったこの歴史ある要塞に守られた港町の魅力を保っているのです。

(2006)『海の絵本』講談社 (P18)

引用文が長くなってしまいましたが、要はフォートレスを拠点に活動する組織S.E.A.とメディテレーニアンハーバーにあるレストラン『ザンビーニ・ブラザーズ・リストランテ』でおなじみのザンビーニ家には歴史的な繋がりがあり、位置関係としてもパークでの縮尺のままということになりますね。『ザンビーニ』が位置するエリア『ポルトパラディーゾ』はイタリアのポルトフィーノやチンクエテッレがモデルになっていると言われており、実際レストラン内にあるカレンダーではイタリアのリグーリア州であることが明言されています。

『Porto Paradiso, Liguria』の文字

これと先ほどのメディテレーニアンハーバーのストーリーから考えれば、エクスプローラーズ・ランディングはイタリアにあることになりますね。現にこのストーリーを基にして、エクスプローラーズ・ランディングもといフォートレスがイタリアにあると考えている人は多くいるようです。それではフォートレスがあるのはイベリア半島ではなくイタリアなのでしょうか。

と、ここまで書いて勘の良い方ならお気づきかもしれませんが、本記事はこのフォートレス=イタリア説が実際のところどうなのか考えていこうという内容です。この記事で述べる内容は全て僕個人の見解であり、確定的な情報ではないことはあらかじめ断っておきます。

それではいってみましょう!

メディテレーニアンハーバーの地理関係

やはりまず気になるのはメディテレーニアンハーバーの各エリアの地理的な関係です。というのもフォートレス=イタリア説の主な根拠として、イタリアをモチーフとしたポルトパラディーゾとエクスプローラーズ・ランディングが同じ空間にあるということが挙げられるからです。説明が難しいですが、要はパークで再現されている縮尺(距離感)がストーリー上でも適用されているという前提があるわけですね。

結論から言ってしまえば僕はそうではないと考えています。つまり実際にはポルトパラディーゾとエクスプローラーズ・ランディング間では明確な断絶があり、パーク内ではそれをデフォルメして繋がっているように見せているだけということです。

例えばお隣のアメリカンウォーターフロントはニューヨークとケープコッドという2つのエリアにわかれていますが、実際にはニューヨークとケープコッドの舞台となっているアメリカのニューイングランド州ではそれなりに距離があるはずです。しかしパーク内ではハドソンリバーブリッジという橋1つで結ばれる程度の距離しか設けられていません。これがパークで表現されているデフォルメだと考えます。

では、どうしてメディテレーニアンハーバーにおいてもそれが適用されると言えるのでしょうか。僕はそれにはいくつかの根拠があると考えています。

エクスプローラーズ・ランディングの姿

エクスプローラーズ・ランディングもといフォートレスが描かれたものをパーク内ではいくつか見ることができます。それら描かれたものがメディテレーニアンハーバーの住人たちから見たフォートレスの姿、すなわちパークのデフォルメを介さないストーリー上の姿となるわけですね。

ちなみに現状確認できているものは4つあります。(他にも知ってるよという方いましたら是非教えてください...)

まずはエクスプローラーズ・ランディング内にあるものから、ここにあるレストラン『マゼランズ』の地球儀にその姿が描かれています。

『マゼランズ』地球儀の絵

こちらの絵はコンセプトアートとして描かれたものにそっくりなのですが、よ〜く見てみると細部が違うのがわかります。

続いてはフォートレスからは少し離れたショップ『リメンブランツェ』の絵。こちらは絵というか版画になっていますね。我々のよく知るフォートレスが描かれています。

『リメンブランツェ』の版画

さて、ここまでは特に問題ないのですが、少し気になるのは残りの2つです。それが『ホテルミラコスタ』のロビー周辺にある地図とアトラクション『ソアリン:ファンタスティック・フライト』の待機列にある絵画です。

ホテルミラコスタ』ロビーにある地図

『ソアリン』内の絵画

これらの絵に描かれたエクスプローラーズ・ランディングはどちらもパーク内の姿とは違っており、明確にポルトパラディーゾとは切り離されているのがわかります。ミラコスタの地図に至っては『メディテレーニアンハーバー』と『エクスプローラーズ・ランディング』というエリア区分までされていますね。ただ、こちらはエクスプローラーズ・ランディングとミステリアスアイランドが同一の場所として描かれているのが気になります。というのもミステリアスアイランドは南太平洋に浮かぶ孤島という世界観なので、パーク内でフォートレスのそばにあるのは、これもまたデフォルメが利いていると考えるからです。

ミラコスタの地図はさておき、ソアリンに描かれているものはメディテレーニアンハーバーの住人から見たエクスプローラーズ・ランディングの姿と言えるのではないでしょうか。真偽は定かでないにせよ、比較的できたばかりのソアリンでこう描かれている以上、イマジニアもこのようなフォートレスの姿を念頭に置いているのでしょうね。

 
港を守る要塞?

メディテレーニアンハーバーの地理的関係について考えたいことがもう一点あります。それがエクスプローラーズ・ランディングがメディテレーニアンハーバーを守るための要塞として機能していたという話です。実際先ほど引用した『海の絵本』にもこのような記述があります。

もともとはメディテレーニアンハーバー
入り口の守りを固めるため、
15世紀にスペイン政府が建設したもの。
(2006)『海の絵本』講談社 (P17)

要塞である以上何かを守っている、もしくは守っていたのは当然なのですが、果たしてそれがメディテレーニアンハーバーだったのかは疑問の余地があります。

エクスプローラーズ・ランディングには、外敵から防衛するためのキャノンすなわち大砲が置かれています。

キャノン(大砲)

問題はこの大砲が向いている向きです。下の写真を見てもらえればわかりますが明らかにポルトパラディーゾの建築群の方を向いていますよね。

ポルトパラディーゾを向くキャノン

仮にメディテレーニアンハーバーの地理がパークで再現されている縮尺のままだとすると、キャノンからポルトパラディーゾの建築までの距離は180mほど。(下記画像参考)16世紀当時使われていたカルバリン砲やそれより小型のデミ・カルバリン砲の有効射程距離が400~500mだったらしいことを考えれば、フォートレスから発射された弾丸が向かいの建築へと当たるのはそう難しいことではありません。もしフォートレスとポルトパラディーゾがそのままこの位置関係にあるのなら、フォートレスはポルトパラディーゾを守るどころか脅威になってしまいますよね。いずれにせよ現在も稼働している大砲が街の方を向いているのはおかしな話です。

Google Maps より

以上のことを踏まえるとエクスプローラーズ・ランディングがハーバーを守る要塞であったとは考えにくく、やはりパークで再現されているものはデフォルメされていると考えた方がいいような気がします...!

 

フォートレス=イベリア半島

エクスプローラーズ・ランディングの舞台がイタリアではないとするとどこなのでしょうか。僕はやはりスペイン、ポルトガルのあるイベリア半島だと考えています。というのもエクスプローラーズ・ランディングことフォートレスにはスペインやポルトガルのエッセンスが多く含まれているからです。

使われている言語

まず注目していきたいのはエクスプローラーズ・ランディング内にある施設で使用されている言語です。メディテレーニアンハーバーにあるレストランやショップはその多くがイタリア語の名前を冠しています。(「思い出」意味する『リメンブランツェ』、「小さな市場」を意味する『ピッコロメルカート』など)

これに対してフォートレス内にあるレストラン『リフレスコス』はスペイン語であることが公式サイトにも明記されています。(下記画像)他のレストラン、ショップの名前がイタリア語由来なのに対し、フォートレスにあるレストランをあえてスペイン語由来にしているのは、フォートレスがイベリア半島にあることを前提にしているからなのではないでしょうか。

東京ディズニーリゾート公式HPより

フォートレス内で見られる文字資料は、ゲストを意識して書かれた英語や日本語の看板などを除けば、ラテン語で書かれているものが主となっています。中世から近世にかけてヨーロッパではラテン語が学問上の共通語となっていたので、これに関してはなんら不思議なことはないですね。

しかし以前ブログで書いたとおり、例えば『チェインバー・オブ・プラネット』の星図の月名はポルトガル語表記となっています。個人的にはこれもイベリア半島が舞台となっていることの裏付けだと思うのですがどうでしょうか...?

チェインバー・オブ・プラネット』

周りにポルトガル語で月名が書かれています

tsubasan0924.hatenablog.com

 

フォートレスの建築様式

そのエリアがどこの国のものなのかを知るためにはやはり建築様式や建物の特徴を見ることが大事ですよね。ロストリバーデルタの神殿を見ればそれぞれがマヤやアステカ、インカのものであることがわかりますし、アラビアンコーストの建築を見ればそれがアラビアだけでなく中央アジア北アフリカなどもモデルになっていることがわかります。

ではエクスプローラーズ・ランディングの建築はどの国のどの時代のものなのでしょうか。フォートレス自体がその名のとおり要塞なのでそれを特定するのは中々難しいですが、よくよく見ていくとその手掛かりになるものはしっかり残されているのです。それがこの記事でも既に登場しているレストラン『マゼランズ』です。このレストランに関しては大航海時代ポルトガル全域で流行したとされるマヌエル様式の装飾がされていることが判明しています。(東京ディズニーリゾート公式ブログにも記載があります。)

マヌエル様式で装飾された『マゼランズ』

マヌエル様式は大航海時代で繁栄したポルトガル王室がその富を象徴するために装飾したものとして知られており、王室の勅令によりポルトガル全土に広まったようです。船や海に関するモチーフが取り入れられているのが特徴として挙げられます。マゼランズにはロープの結び目、海藻、貝などの装飾がなされていますね。特にアーチや柱などはマヌエル様式の代表建築であるジェロニモ修道院の回廊とかなり似ています。

ja.wikipedia.org

www.tokyodisneyresort.jp

マヌエル様式の装飾がなされているのはマゼランズだけではありません。この装飾は実は思いっきりフォートレスの正面にも施されています。それがフォートレス中心の金のドームの下の壁の装飾です。

フォートレス中心の金のドーム

正面の壁(下記画像)にはエクスプローラーズ・ランディングを拠点として活動している組織であるS.E.A.の紋章がありますが、その両脇には錨、鎖、海藻、そして天球儀などマヌエル様式の装飾が施されているのがわかりますね。さらに言えばこの装飾全体がポルトガルにあるトマールのキリスト教修道院の装飾の一部とかなり似ていたりします。

S.E.A.の紋章とマヌエル様式の装飾

マヌエル様式が当時絶頂を迎えていたポルトガルを象徴するものだと考えると、その装飾がされているフォートレスはやはりイベリア半島にある可能性が高そうですね。

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org 

追記(2023年10月5日)

と、ここまではポルトガルの建築様式を踏まえていることを述べてきましたが、実はエクスプローラーズ・ランディングの要塞全体の建築のモデルがスペインにあることが判明したので見ていきましょう。

フォートレスの建築

そのモデルとはスペインのマンサナレス・エル・レアルという町にある15世紀頃のお城ムデハル様式と呼ばれるキリスト教建築とイスラーム建築が融合したスペインやポルトガル特有の建築様式で建てられているとのことです。以前僕がブログで述べたイスラームとフォートレスの関わりの裏どりになりそうですね。

tsubasan0924.hatenablog.com

マンサナレス・エル・レアルの新城(https://es.wikipedia.org/wiki/Castillo_nuevo_de_Manzanares_el_Realより)

2つの建築を比較してみると白っぽい石材と灰色の石材の使い分け方や、コーベルという壁の出っ張りを支えるための装飾の形、そして十字型の狭間(矢などを射るための穴)の形がそっくりなのがわかると思います。特に十字の狭間に関してはほぼそっくりに再現されているといっていいでしょう。

フォートレスの十字型の狭間

モデルとなった十字型の狭間
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Espa%C3%B1a_-_Manzanares_El_Real_-_Castillo_de_Manzanares_el_Real_008.JPGより)

es.wikipedia.org

commons.m.wikimedia.org

(追記終わり)

青いタイル

フォートレスの中に入ると中庭のような空間がありますが、そこには噴水が設置されています。

フォートレス中庭にある噴水

この噴水は少しコワモテな海の仲間の装飾が特徴的ですが、ここで注目するのはそこではなくこの噴水の下の部分です。噴水の内側の下をよく見てみると青を基調としたタイルが敷き詰められているのがわかると思います。

噴水下部の青いタイル

ポルトガルやスペインではアズレージョと呼ばれるタイルが生産されてきたことで知られており、特にポルトガルでは至る所で青を基調としたタイルの装飾を見ることができるそうです。確証はありませんが、もしかしたらこのタイルもここがイベリア半島であることを示しているのかもしれませんね。

ja.wikipedia.org

 

小屋の存在

エクスプローラーズ・ランディングの要塞の前には明らかに要塞の建築とは違う謎の小屋がぽつんと建っています。

要塞前にある小屋

柱に木が使われていたり、石の大きさが統一されていなかったり、さらに天井には苔が無造作に生えていることからも明らかに異質なのがわかると思います。ただ夜になると窓から明かりが漏れていることがわかるため、まだ誰かがこの場所を使っていることは間違いないようです。

この謎多き小屋なのですが、どうやら煙突の形状からスペインのカラタニャソルという場所にある家々がモデルになっているっぽいですね。これもフォートレスがイベリア半島にあることの根拠の一つになりそうです。

カラタニャソル特有の煙突

カラタニャソルは中世に栄えた町なので、それがモデルになっているならばこの小屋は要塞より古い時代のものなのでしょうね。さらに詳しく調べていくと、どうやらこの煙突は松の木でできているもので寒い地域特有のものであるとのこと。

www.elturistatranquil.com

となるとエクスプローラーズ・ランディングも寒い地域にあることになりますが、そうすると1つ矛盾が生じてしまいます。冒頭の『海の絵本』から引用した記述ではこの要塞は元々スペイン王カルロス1世の「避寒用施設」だったと書かれていましたよね。避寒とは当然寒い季節に暖かい地域へ行くことですから、わざわざ寒い場所を選ぶのはおかしい気がしますがどうなのでしょう...?

 

大航海時代の象徴

ここまで色々書いてきましたが結局のところ最初に述べたとおり、エクスプローラーズ・ランディングという施設が大航海時代をテーマにしている以上、やはりその時代を担ったスペイン、ポルトガルが舞台になっていると考えた方が良いのではないでしょうか。

と、これだけだとこの項は完全な妄想で終わってしまうのでそう考える理由を話していきます。エクスプローラーズ・ランディングの中にはアトラクションのガイドパンフレット的なものが置いてある場所がありますが、そこにはこう書いてあります。

この地から探検家たちは偉大なる発見を求めて航海へと旅立つ。そしてやがて帰還したのちには はるか遠い国の物語や驚くべき冒険の数々 またすばらしい科学の進歩を語り伝えるであろう。

ここに書いてあるとおり、そもそもこの場所はエクスプローラーズ・「ランディング」なので冒険家や探検家たちの航海の出発地であり、その航海を終えて上陸する場所でもあるのです。なぜ大航海時代の先陣をきったのがスペインとポルトガルだったのか、それには様々な理由が挙げられますが、その1つにこの両国が内海である地中海だけでなく、外海である大西洋にも面していたことが挙げられるでしょう。そんな両国だからこそ、文字通り世界中を旅する航海の出発地、そして寄港地を担うことができたのです。対してイタリアはルネサンス発祥の地であり、航海技術こそ発達したものの内海にしか面していないという地理的特徴もあり大航海時代を担うことはありませんでした。このようなことを踏まえてもエクスプローラーズ・ランディングはイタリアではなく、スペイン、ポルトガルのあるイベリア半島にあると考えた方がしっくりくる気がします。

また、フォートレス中心の金のドームの上部には高らかに金色の帆船が掲げられています。なんとなくこの時代の船というとルネサンス号のようなガレオン船を連想してしまいますが、二本の三角帆があることからこれはキャラベル船であることがわかります。

金色のドーム

頭頂部には金色のキャラベル船の意匠が

このキャラベル船はポルトガルの国家管理のもとで開発され、ポルトガル、スペインの冒険家や探検家に広く使われたものとして知られています。18世紀までイギリス、オランダ、ドイツといったヨーロッパ各国も使用したガレオン船でなく、キャラベル船が高らかに掲げられているのはスペイン、ポルトガルといったイベリア半島の両国の栄華を示しているからと考えられないでしょうか。

ja.wikipedia.org

 

終わりに

ということでこの記事ではエクスプローラーズ・ランディングの舞台はイタリアではなくイベリア半島なのではないかという話をしました。ちなみにスペイン、ポルトガルのどちらの国なのかまでは断定せず、イベリア半島であると表現しているのは、この記事でも見てきたように両国それぞれの要素が色濃くフォートレスには反映されているからです。

とはいえ冒頭で見たように、公式の文献ではエクスプローラーズ・ランディングがイタリアにあることを示すような記述がしっかりとされているので、あくまでもこれは僕の意見にすぎません。そもそも場所が明確に断定されていないのは、ゲストがフォートレスをイタリアともイベリア半島とも感じ取っていいように想像の幅を持たせているということなのでしょう。要はエクスプローラーズ・ランディングの舞台をどことするのかはある程度ゲストの解釈にゆだねているということですね。そのうえで僕はイベリア半島にありそうだなと解釈したと思ってもらってかまいません。

繰り返しになりますが、当ブログで述べている内容はすべて僕個人の見解によるものであり、確定的な情報を伝えるものではありません。その上でご意見やご感想などは大歓迎ですので是非よろしくお願いします!

以上長くなってしまいましたが、ここまで読んで下さりありがとうございました🙇‍♂️

 

それでは!

 

この記事を書くにあたって黒井哲也 (@961C62) / X様からの御協力をいただきました。この場を借りてお礼申し上げます!

ルネサンスから見るメディテレーニアンハーバー

こんにちは!つばさぬです。近頃当ブログを見てくださる方が増えてきていて、とても励みになっています。改めてありがとうございます🙇‍♂️

タイトルのとおり今回は東京ディズニーシーのテーマポートのうちの1つ、メディテレーニアンハーバーを「ルネサンス」という視点で見てみようという記事です。以下の記事をお読みいただければより理解が深まると思うので、お時間ある方はぜひ...!

tsubasan0924.hatenablog.com

このたび新しい試みとして目次を付けてみたので、特定の項目のみを参照したいという場合にはぜひクリックしてご活用してみてください!

目次

 

また当ブログの全ての記事におけることですが、この記事の内容はすべて僕個人の解釈によるものであり、決して確定的な情報を伝えるものではないことを予め断っておきます。

メディテレーニアンハーバーについて

まずメディテレーニアンハーバーについて軽くおさらいです。このテーマポートは東京ディズニーシーの玄関口にあたり、20世紀初頭の南ヨーロッパ(イタリア、スペインなど)がモチーフとなっています。f:id:Tsubasan0924:20230504112202j:image

メディテレーニアンハーバーはさらに3つのエリアに分けることができます。以下にそれを紹介します。

ポルト・パラディーゾ

イタリア語で「パラダイスの港」を意味し、実在するイタリアのリゾート地ポルトフィーノフィレンツェなどのトスカーナ地方の港町が舞台になっているエリアです。カラフルで活気ある街並みが特徴的。f:id:Tsubasan0924:20230521222037j:image

パラッツォ・カナル

「宮殿の運河」の名を持つ、ヴェネツィアを舞台としたエリア。『カナーレ・デッラモーレ』(日本語で「愛の運河」の意)という運河を中心として、石造りの優雅な建築が所狭しとひしめき合っています。夕暮れ〜日没後に行けばノスタルジックな気分を味わえて個人的におすすめの場所です。f:id:Tsubasan0924:20230521222051j:image

エクスプローラーズ・ランディング

大航海時代イベリア半島にそびえる要塞(フォートレス)をモチーフとしたエリア。要塞を歩き回って探検するアトラクション『フォートレス・エクスプロレーション』の舞台でもあります。僕がパークで一番好きな場所です。要塞の中には様々な部屋があり、各部屋で偉人たちの様々な偉業を見たり体験することができます。レオナルド・ダ・ヴィンチコロンブスといった著名なメンバーで構成された組織『S.E.A.』が活動の拠点としているという場所でもあります。f:id:Tsubasan0924:20230521222115j:image

ルネサンスとは

今回の主題になるルネサンスですが、一度は耳にしたことはあるものの、どういったものなのかわからない方もいるのではないでしょうか。ルネサンスとは一言で表すなら「文芸復興」のことで、一般に14世紀からイタリアで始まった運動のことをいいます。その意義として、古代ギリシアやローマの叡智をヨーロッパにおいて復活させ、発展させていくことがありました。

なぜ古代の叡智の「復活」なのかというと、古代の終焉(一般に476年の西ローマ帝国滅亡のときとされています)とともにそれらの叡智はヨーロッパでは埋もれてしまうことになるからです。その古代の遺産の担い手として東方のイスラームビザンツ帝国が登場し、それらを継承し発展させていくことになります。中世以降それらの叡智がヨーロッパに逆輸入されたことで、晴れてルネサンスという運動がおこったというわけです。

またルネサンスには、キリスト教以前の古代の文化を復活させることで、神中心だったキリスト教による中世観を打破し、人間の価値を再発見しようという側面もあったと言われています。

ja.wikipedia.org

0.なぜルネサンスなのか?

それではなぜメディテレーニアンハーバールネサンスを学ぶことが出来るのか、両者にどのような関わりがあるのか、について説明していきます。

①地域の一致

先ほども説明しましたが14世紀からのルネサンスはイタリアで始まり、これをイタリアン・ルネサンスといいます。メディテレーニアンハーバーのエリアであるポルト・パラディーゾとパラッツォ・カナルはちょうどイタリアの都市が舞台になっていますね。

②年代の一致

イタリアから始まったルネサンス14世紀から16世紀までのことだと言われています。こちらもメディテレーニアンハーバーのエリアの一つ、エクスプローラーズ・ランディングを拠点に活動する組織S.E.A.の設立年代は1538年、その要塞自体も16世紀のものだと言われています。年代的な視点からもメディテレーニアンハーバールネサンスは共通する部分があるんですね。

ちなみにメディテレーニアンハーバー全体の年代設定としては20世紀初頭とされていますのでご留意ください。(ややこしくてすみません...)

tsubasan0924.hatenablog.com

③テーマソングの歌詞

東京ディズニーシーの各テーマポートにはポート・テーマソングなるものが存在しており、『ポルト・パラディーゾ(ポート・テーマソング)』がメディテレーニアンハーバーのそれにあたります。この曲の歌詞にこんなワンフレーズがあります。

A renaissance of beauty will enchant you 

直訳すると「美のルネサンスが君たちを魅了するよ」的なことを言っているのですが、はっきりと公式の曲でルネサンスと言っているんですね。公式もそういっているのだからメディテレーニアンハーバールネサンスにつながりがあるのは間違いなさそうです。

music.apple.com

ルネサンス

極めつけはこちら。もはや隠す気もなく堂々とルネサンスの名を冠したものがメディテレーニアンハーバーにはあります。それがエクスプローラーズ・ランディングにあるガリオン船ルネサンス号』。名前もそのままなのでこれ以上いうこともありません。f:id:Tsubasan0924:20230521092701j:image

というわけで、以上の理由からメディテレーニアンハーバールネサンスには強い結びつきがあることがわかります。それでは具体的にメディテレーニアンハーバーでどのようにルネサンスを学ぶことが出来るのかを見ていきましょう!

1.ルネサンスの建築

まずはパークの中でももっとも皆さんが目にする建築から見ていきます。当然ルネサンス期の建築を扱っていくのですが、その前にルネサンス建築が再現しようとした西洋の古典建築の特徴を知る必要があります。ルネサンス建築では中世では神のためのものだった建築を人間視点に戻すことが図られました。そのためにキリスト教が布教する以前の古代の建築を模倣しようとしたというわけです。

西洋の古典建築

メディテレーニアンハーバーでは、アトラクション『ソアリン:ファンタスティック・フライト』(以下『ソアリン』)の前に古代ギリシャ、もしくは古代ローマのものと思われる建築物があります。

『ソアリン』の前にある古代建築

西洋の古典建築、すなわち古代ギリシャやそれに続く古代ローマの建築にはエンタブラチュアと呼ばれる梁からなるオーダーという様式の原則があるとされています。それを示したのが以下の画像です。

またオーダーは柱の装飾によって一般に5つの種類に分かれるとされています。『ソアリン』の前にあるものの柱頭はアカンサスと呼ばれる葉があしらわれているコリント式のように見えますね。詳しくはリンク先を参照してみてください。f:id:Tsubasan0924:20230521224601j:image

ja.wikipedia.org

また、古代ローマではアーチが建築の特徴として見られます。これは石が圧縮に強い性質を持つことを利用したものだと言われています。メディテレーニアンハーバーにはアクアダクト・ブリッジと呼ばれる橋が架かっていますが、こちらは実際に古代ローマで使われていた水道橋がモデルになっていると思われ、いくつものアーチがみられるのが特徴です。

アクアダクト・ブリッジ

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ソアリン:ファンタスティック・フライト

さて、それではいよいよルネサンス建築について見ていきましょう。まずは先ほども登場した『ソアリン』の建築です。ちなみにこの建築は『ソアリン』のアトラクションの建物でありながら、『ファンタスティック・フライト・ミュージアム』という博物館を模したものになっています。

ソアリン:ファンタスティック・フライト

この建築の外壁にも柱とエンタブラチュアがあり、西洋古典建築のオーダーの原則を踏襲していることがわかります。ただしこの場合の柱は実際には柱の役割を担っていません。こういった装飾のための柱を付柱、もしくはピラスターと呼びます。

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ちなみにこちらの付柱は柱頭に渦巻きが特徴的な装飾が施されていることからイオニア式を模したもののように見えます。よく見てみると鳥の意匠があってなんともかわいらしいです。

付柱の柱頭 イオニア式?

 

『ソアリン』の建築では青いドームが特徴的です。このように立体的なドーム構造がエンタブラチュアの上に置かれているのはルネサンス建築の特徴とされています。ルネサンス期に建築家ブラマンテが建築を担当したことで知られるローマのサン・ピエトロ大聖堂にも青いドームがあしらわれていますね。

『ソアリン』のドーム

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建築の壁や窓の周りにある装飾は「小さな祠」という意味のエディキュラと呼ばれる建築形態で、その上部には三角形や弓形にペディメントと呼ばれる意匠が見られます。こちらも古代ギリシャやローマのものを模したもので、ルネサンス以降に欧米の建築でよく見られるようになったものです。ペディメントはギリシャパルテノン神殿なんかが代表的ですね。

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ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

ドームがついた建築の中に入ってみると、円形の広間になっていることがわかります。このようにドームの屋根がついた広間や建物のことをロトンダと呼び、ルネサンス建築の代表的なスタイルとして知られています。

『ソアリン』のロトンダ

この部屋の前にはしっかりと「ROTONDA(ロトンダ)」の表記が見て取れます。ちなみに続いて記載されている「VITTORIA(ウィクトーリア)」とはローマ神話に登場する勝利の神の名前で、ギリシャ神話でのニケと同一視されます。『サモトラケのニケ』で有名ですね。「ALATA(翼のある)」という形容があることから、空を飛ぶことをテーマとしたこの博物館にちなんで名づけられているのでしょうか。

「翼のあるウィクトーリアのロトンダ」の表記
ホテルミラコスタ

続いてみんな大好きな『東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ』を見ていきましょう。正面入り口(パークとは反対側)を見てみると、先ほどまで紹介したルネサンス建築の意匠が多く施されているのがわかります。オーダーの原則に、ドーム構造、アーチ構造、ピラスター、ペディメントなどが見られます。

建築の上部には大きなドームがありますが、レンガの色味や八角形の構造をしている点などから、ルネサンス期の代表的な建築サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂を彷彿とさせます。ルネサンス期のこのようなドームは、外からの視点を重視した屋根としての役割を果たしており、紡錘形の輪郭がはっきりと浮かび上がっているのが特徴です。

ミラコスタのドーム

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またドームの上には突出したクーポラという小部屋があります。これは展望台として光や空気を取り入れるためにしばしば使われ、ルネサンス建築において発展したものとされています。

ドーム頭頂部のクーポラ

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このドームがホテルミラコスタのロビーになっており、先ほど登場した五層吹き抜けのロトンダ構造になっています。このロトンダもオーダーの原則にそって8本の円柱が立っていることがわかりますね。

ミラコスタロビーのロトンダ

 

ポンテ・ヴェッキオ

イタリアに実在する橋『ポンテ・ヴェッキオと同じ名を持つ橋がメディテレーニアンハーバーにもあります。イタリア語で「古い橋」を意味するのですが、この橋の上に在る建築の一部で初期ルネサンス建築のようなものを見ることが出来ます。

ポンテ・ヴェッキオ

円柱の上にアーチがかけられている構造がありますが、これは一見トスカナ式の柱とアーチという古代の建築様式を再現しているように見えます。しかし柱と梁というオーダーの原則からは逸れていますよね。まだルネサンス建築が大成していない初期のルネサンス建築なのでしょうか。

 

2.ルネサンスの学問

建築のほかに、ルネサンスは多くの知識をヨーロッパにもたらしました。中世以降いったんは埋もれてしまった古代の知識がビザンツイスラーム世界を経てヨーロッパで復活したことにより、様々な学問の動きが活発になったというわけです。

地理学

まずは地理学という観点から見ていきましょう。フォートレス内の『エクスプローラーズ・ホール』には古代ローマの学者クラウディウスプトレマイオス(83~168頃)肖像画が描かれています。

クラウディウスプトレマイオス(83~168年頃)の肖像

彼の著作『地理学』を基に再構成されたとされる世界地図、通称「プトレマイオス図」が13世紀に入ってビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルで再発見されたことを機に、修復された写本がイタリアへともたらされます。

プトレマイオス図」を表した絵

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この図に刺激されて、15世紀には新方式の地球図の作成が試みられるようになり、15世紀後半には、マルティン・ベハイム(1459~1507)が現存する最古の地球儀を作るまでに至ります。フォートレスの中にあるレストラン『マゼランズ』の中央には大きな地球儀がありますね。

『マゼランズ』の地球儀

ja.wikipedia.org他にもルネサンスでは現在の世界地図でも使われるメルカトル図法で有名なゲラルドゥス・メルカトル(1512~1594)などの活躍で知られていますが、決して現在の科学のように客観的な事実を追求するものではありませんでした。彼のような極めて優秀な学者でさえ、古代や中世から続く伝説や神話的な事柄を信じており、自らの地図に盛り込んでいたと言われています。実際フォートレス内の部屋『ナビゲーションセンター』では大きな海図が描かれていますが、よく見てみるとそこには伝説上の島や海洋生物などがいたりします。

『ナビゲーションセンター』
海図上の船の模型を操縦することが出来ます

ちなみによくこの部屋は、「16世紀当時平面だと信じられていた地球を再現したもの」だと考えられがちですが(公式ガイドにも大体そう書いてあります)、史実的にみれば、西洋では古代ギリシャからこの時代まで、地球が球体をしていたということは少なくとも知識人の間では常識であり、地球が平面だと信じていた人はごく僅かだったとされています。

天文学

天文学史においてルネサンスはかなり重要な位置を占めていると言えます。ルネサンス期に登場したニコラウス・コペルニクス(1473~1543)地動説を唱えたことが有名ですね。2世紀に前述のプトレマイオスが提唱した地球を中心とする天動説は、それ以降の天文学において絶対的な権威として君臨しており、ルネサンス以降も大勢の支持を受けて健在でした。しかしその一方で、プトレマイオス宇宙論の真偽に疑問を投げかける声は多くあり、その動きの中で生まれたのがコペルニクスの考えだと言われています。フォートレスの一室チェインバー・オブ・プラネット』は、まさにこの太陽を中心とする地動説を体現した部屋です。この部屋には太陽と当時発見されていた6つの惑星を模した太陽系儀が置かれています。

チェインバー・オブ・・プラネット』
巨大な太陽系儀と天井に描かれた星が魅力的な部屋

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また後に、地動説の普及でプトレマイオスの権威が低下したことに伴い、それまで変更が加えられていなかった彼の「トレミーの48星座」にも修正がなされました。様々な天文学者が新しい星座を考案しましたが、そのうちの1人であるヨハネス・ヘヴェリウス(1611~1687)が完成させたとされる星図がマゼランズの天井に描かれていたりします。

『マゼランズ』の天井画

tsubasan0924.hatenablog.com

しかし、プトレマイオスが地動説を唱えてもなお、当時の学者の間ではいまだ天動説が優勢でした。『エクスプローラーズ・ホール』にその肖像画が飾られているティコ・ブラーエ(1546~1601)がその代表として知られています。

ティコ・ブラーエ(1546年~1601年)の肖像

彼は自身の天文台を建て、膨大な数の星の観察を続けました。その際に使用したとされる彼の渾天儀などが彼の肖像の下には描かれています。

ブラーエの使用した器具
左から台座付きの六分儀、黄道式渾天儀式、方位角四分儀

ブラーエはコペルニクスの地動説の考えを理解はしながらも、彼自身の観測データがあったことや、彼が敬虔なプロテスタントであったため、天地創造の中心は地球であるという旧約聖書の言葉を無視できなかったことから、『ティコ体系』(『修正天動説』とも)という独自の宇宙モデルにたどり着きます。彼の理論は、あくまでも宇宙の中心に位置するのは静止した地球で、その周囲を月や太陽が回り、残りの水星、金星、火星、木星土星といった惑星が太陽の周りを回るといったものでした。

『ティコ体系』を示した絵

またこの時代、天文学は航海においての重要度が高くなり、それを裏付けるかのようにマゼランズには星の観測に必要だったアストロラーベ四分儀などの道具が飾られています。これらの道具はいずれもヨーロッパでルネサンス以降に多く使われていたものだそうです。

真鍮製と思われるアストロラーベ

バックスタッフ(写真上部)や四分儀(写真中部)といった天文器具とそれに関する絵

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錬金術

今でこそ錬金術はいかさまの魔術だと評されますが、当時は立派な学問の一つであり、現在の化学の礎となっているのもまた事実だと言えます。古代オリエントやヘレニズムの蓄積を受け、イスラーム世界で洗練されたこの術は、中世のさなかにイベリア半島を通して西ヨーロッパに断片として伝達され始めました。フォートレスの中には、『アルケミーラボラトリー』という錬金術師の部屋があります。高度な思弁と技術、物質の化学上の性質と変成に関する知識を必要としたこの魔術は、ルネサンス期に最盛期を迎えたとされています。

『アルケミーラボラトリー』
錬金術師の部屋

部屋では蒸留の実験をしている最中のよう
工学

ルネサンス人文主義においては、科学と芸術を両極端なものとみなしてはいませんでした。数多くの芸術作品を生みだしたことで有名なレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)はそれらと同じくらい革新的な科学や工学に関する研究を行っていたことで知られています。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年~1519年)の肖像

エクスプローラーズ・ホール』の彼の肖像画の下には、彼が書き残した手稿に描かれていた多くの発明品を見ることができます。

ダ・ヴィンチの手稿に描かれている翼、羽ばたき機、プロペラエンジン、戦車などの絵

また、彼が発明した羽ばたき機を基にして実際の形としてあらわした『フライングマシーン』といったものも置かれています。が、2023年5月現在撤去されています。早く戻ってきて欲しいですねこれ。

『フライングマシーン』
ダ・ヴィンチの発明をもとにして作られた羽ばたき機

3.ルネサンスの芸術

ここまで長々と書いてきましたが、ルネサンスといったらやっぱり芸術作品ですよね!ということで最後にメディテレーニアンハーバーで見られるルネサンスの芸術について見ていきましょう。

絵画

ルネサンスと聞いて誰もが思いつくのはやはりレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザに代表される絵画ではないでしょうか。パラッツォ・カナルの一角には『モナ・リザ』を模写していると思われるアトリエがあります。

パラッツォ・カナル一角のアトリエ

よく見てみるとこの絵の女性には口元が描かれておらず、まわりにはいくつかの口元のスケッチがあることがわかります。この絵の主が口元の違いによる絵画の女性の表情の変化を楽しんでいるという、ディズニーなりのユーモアなのでしょうね。

絵画とともに様々なスケッチが

 

ポルト・パラディーゾの建築の壁面には立体的に描かれた装飾がなされています。これらはフランス語で「目を騙す」という意味のトロンプルイユというもの。いわゆるだまし絵ですね。これはルネサンス期に遠近法の絵画の技法が確立したことで誕生したものと言われています。

壁一面に描かれたトロンプルイユ

ちなみに、ポルト・パラディーゾのモデルの一つとなっているイタリアのポルトフィーノジェノヴァ県に位置していますが、ジェノヴァには同じように壁一面にトロンプルイユで装飾が施された『サンジョルジョ宮殿』と呼ばれる建築があったりします。

ja.wikipedia.org

it.wikipedia.org

ルネサンスで発見された遠近法は、アナモルフォーシスという技法にも応用されます。アナモルフォーシスとは道具を介したり角度を変えることにより正常な形に見えるように、故意に絵を歪める画法のことです。ちなみにこの画法の最古の例はレオナルド・ダ・ヴィンチだと言われているそう。ルネサンス期のドイツの画家ハンス・ホルバイン(1497~1543)はアナモルフォーシスを使用したことで知られており、その代表作品である『大使たち』がマゼランズに飾られています。

『大使たち』(1533年)

この絵画はよく見てみると下の方に細長い謎の物体が描かれているのがわかると思います。ここにアナモルフォーシスの技法が使われており、これは角度を変えて左下もしくは右上の方から見てみると物体としてはっきりと認識できるというものです。ちなみにこの謎の物体の招待は髑髏。死の象徴である髑髏を描くことで、人の死はいつ訪れるかわからないというテーマを暗に示しているということなんでしょうね。

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またフォートレスの中にはこの技法を実際に体験することが出来る『イリュージョンルーム』という部屋があります。

『イリュージョンルーム』

この部屋には床、壁、天井それぞれに絵が描かれていますが、部屋の手前にある歪曲レンズを通すことで、それらが一枚の絵に見えるというもの。

レンズを通して見ることで一枚の絵のように

ちなみにここに描かれている絵はヴェスヴィオ火山の噴火により滅びゆく古代ローマの都市ポンペイの街並みであることが絵の作者から明言されています。(リンクを貼っておきます。)

he-il.facebook.com

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音楽

様々な文化が発達したルネサンスにおいて音楽もその例外ではありませんでした。しかしここでいうルネサンス音楽とはあくまでルネサンス期に見られた音楽の特徴であり、それ以降の古典派やロマン派音楽のような絶対性は持っていないものです。またルネサンスの異議でもある古代の復興という点においてもルネサンス音楽は重点を置いていませんでした。

ルネサンス音楽の中心となるものは宗教曲を題材にした声楽でした。16世紀に宗教改革が起こったとはいえ、いまだローマ・カトリック教会の権威は絶大であり、この時代の音楽家の多くは教会に雇われていたそうです。カトリック教会の宗教音楽の代表であるグレゴリオ聖歌は、中世で誕生した後この時代まで歌われ続けてきたと言われています。マゼランズにはそれを示すかのように、ラテン語で書かれたグレゴリオ聖歌の楽譜である「ネウマ譜」が飾られています。

「ネウマ譜」
ラテン語でマタイ福音書を引用した歌詞が書かれています。

ちなみにグレゴリオ聖歌は前述のチェインバー・オブ・プラネット内でBGMとして使用されており、そこで実際に聞くことが出来ます。

マゼランズには他にも16世紀頃のものとみられるタペストリーやそれに関する楽器が飾られています。下記のタペストリーでは、左の男性がオーボエを持っており、その右の女性がプサルテリウムと呼ばれる楽器を持っています。プサルテリウムは中世にイスラームからヨーロッパに伝わり、15世紀まで幅広く普及、後にチェンバロに発展したと言われている楽器です。

左からオーボエを吹く男性、プサルテリウムを演奏する女性、弓のようなものを持つ女性、楽譜を持つ男性

saisaibatake.ame-zaiku.com

下の画像のタペストリーでは真ん中の女性がパイプオルガンを演奏しています。タペストリーの上にある細長い楽器はサズと呼ばれるもの。トルコやイランの楽器で、イスラームの古典音楽に特徴的な弦楽器の音は主にこの楽器から出ているらしいです。アラビアンコーストのBGMを想像してもらうとわかりやすいですね。

タペストリー上の細長い楽器がサズ

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マゼランズのタペストリーについてはこちらの記事でまとめているので、よろしければご参照ください。↓

tsubasan0924.hatenablog.com

タペストリーの横には、リュートと携帯用オルガンが飾られています。リュートルネサンス期に非常に人気があり、同時代の代表的な楽器でもあります。フォートレス内ではエクスプローラーズ・ホールで流れているBGMにもリュートが使われていたりしますね。

リュート(上)と携帯用オルガン(下)

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パラッツォ・カナルの一角では楽器屋のショーウィンドウを見ることが出来ます。看板には「マンドリンとヴァイオリンの店」と書かれています。その名の通りマンドリンやヴァイオリンがショーウィンドウにはディスプレイされていますね。

マンドリンとヴァイオリンの店」

マンドリンは17世紀に先ほどのリュートを基にしてイタリアで発祥したとされている楽器です。ディズニー作品『わんわん物語』の主題歌「ベラ・ノッテ」で使われている弦楽器ですね。「ベラ・ノッテ」はメディテレーニアンハーバーでもBGMとして使われています。

ヴァイオリンは皆さんご存じのとおりですが、イスラームで使用されていた弦楽器ラバーブをもとにして(諸説あります)、ルネサンス期である16世紀初頭に北イタリアをはじめとして登場したとされています。ちなみにラバーブはディズニーシーのアトラクション『シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ』に登場する巨人が演奏していることでおなじみですね。

ディスプレイされているマンドリンリュート

終わりに

というわけで今回は世界史におけるルネサンスという視点からメディテレーニアンハーバーを見ていこうという記事でした。僕としてはこの記事が、少しでも皆さんがメディテレーニアンハーバーに興味関心を持つきっかけとなってくれれば幸いです。

思ったより長い記事になってしまいましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました!これからもできる限りブログを更新していくつもりなのでどうぞよろしくお願いいたします。コメント、感想、リクエスト等大歓迎です!

 

それでは!

参考文献

東京図鑑(編)(2007)『東京ディズニーシー物語(ディズニーストーリーブック)』講談社
樺山紘一(1996)『世界の歴史(16)ルネサンスと地中海』中央公論新社
エドワード・ブルック=ヒッチング(著)関谷冬華(訳)(2020)『宇宙を回す天使、月を飛び回る怪人 世界があこがれた空の地図』日経ナショナルジオグラフィック
・スティーヴン・ジェイ・グールド(著)新妻昭夫他(訳)(2007)『神と科学は共存できるか?』日経BP
吉村正和(2012)『図説 錬金術河出書房新社
・ドメニコ・ロレンツァ他(著)松井貴子(訳)(2007)『ダ・ヴィンチ 天才の仕事ー発明スケッチ32枚を完全再現』二見書房

S.E.A.設立年代のあれこれ

こんにちは!

今回は半ば雑談のような記事なのでいきなり本題に入ります。僕は以前こんな記事を書きました。

tsubasan0924.hatenablog.com

この記事を書いたのが、2020年の11月。もうだいぶ前になりますね。正直僕としては、結局どうなのかわかんないよね〜くらいな感じで濁しておくくらいが丁度いいと思っていました。が、昨年アナハイムで行われたディズニー最大の(?)祭典D23 EXPO 2022にて衝撃の情報が。

societyofexplorersandadventurers.fandom.com

上記のリンク先の年表を拡大したものがこちらになりますが、そこにはS.E.A.がポルト・パラディーゾにて1538年に設立されたとしっかり書かれています。

f:id:Tsubasan0924:20230204173216j:image

その下には1590年にエクスプローラーズ・ランディングがS.E.A.の拠点となった旨が書いてありますね。

流石に本家本元の公式様がこう断定しちゃってるので、これはもう否定のしようがないことですよね。いやでも公式が勝手に言ってるだけだし....

レオナルド・ダ・ヴィンチ没年代との矛盾について

さて、例のブログ記事で争点になっていた(勝手に争点にした)レオナルド・ダ・ヴィンチの件ですが、エクスプローラーズ・ホールに飾られている肖像画の人物たちは、いつからか「名誉会員(英語だと"Honorary S.E.A. member")」という扱いになったようで、以前日本版ソアリンの特設サイトにもそう書かれていました。「名誉会員」とはどういうものなのかというと、つまり後世のS.E.A.会員やそれに準ずるキャストたちが、偉大な先人を称えてS.E.A.会員として(要するに勝手に)任命するということらしいです。

レオナルド・ダ・ヴィンチは1519年没なので、S.E.A.設立の1538年には既にこの世にいないことになっている。

さて、この便利な「名誉会員」システムを使えばダ・ヴィンチの没年代がS.E.A.設立の年代よりも問題ないわけです。やっぱりS.E.A.設立は1538年で良さそう?

と思いきや、厄介なことに、フォートレス内の謎解きプログラム「レオナルドチャレンジ」にてダ・ヴィンチは自分のことを「S.E.A.会員」だと言っちゃってるんですよね。(YouTube等に動画が挙げられてますので気になる方は検索してみてください。)これでは彼は先程説明したように後世に与えられた称号である「名誉会員」ではなく、自らの意思で会員になったように考えることもできてしまいます。

いずれにせよS.E.A.設立が1538年だと考えれば、その時既に彼はこの世にいないことから、ダ・ヴィンチが死後幽霊の類の何かになってS.E.A.に入会した、もしくは後世の誰かが彼に名誉会員の称号を与えた後、幽霊として蘇らせた、ということになるんでしょうね...
まあ錬金術など様々なこと挑戦していたS.E.A.のことですから、降霊術や死者蘇生術といったものを行っていたとしても多分おかしくはないでしょう。

参考:錬金術師の部屋「アルケミーラボラトリー」

そもそもレオナルドチャレンジに登場するレオナルド・ダ・ヴィンチ自体がよくわからない存在なのであまり深く考えるものでもないのでしょうね。

ちなみに、先程リンクを貼ったS.E.A. Wikiにはこんな風に書いてあります。

f:id:Tsubasan0924:20230204195552j:image

訳すと
「1519年 5月2日 「名誉会員」であるレオナルド・ダ・ヴィンチ死去。彼の幽霊は、後にフォートレス・エクスプロレーションに出没することになる」
といった感じでしょうか。
割と海外の方も幽霊で納得しているようですね。

ならあのダ・ヴィンチは幽霊だ!!!(雑)

そうじゃなくてもそういうことにしましょう。あれは幽霊なんですよ。ええ。

 

というわけで、まとまりもへったくりもない記事になってしまいましたが、とりあえずS.E.Aの設立年代問題についてはこんな感じでいったん区切りとします。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます!
フォートレスについてはまだまだ書きたいことがいっぱいあるので、時間があるときにでもぼちぼち書いていきます。あともしリクエスト等あれば言っていただけると助かりますので、ぜひお願いします!

それでは!

チェインバー・オブ・プラネットの壁画について

こんにちは!ボンジョルノ!

今回の記事は前回の記事(リンク先参照)の続きになっています!ぜひそちらもご覧ください...!

tsubasan0924.hatenablog.com

さて、前回に引き続きチェインバー・オブ・プラネットについて扱っていこうと思いますが、今回はこの部屋の壁画について見ていきましょう。

壁画

前述のように、チェインバー・オブ・プラネットには壁一面に壁画、というより何かの図が描かれています。

壁には何かの図が描かれています

この壁画については公式ブログでも言及されているので、よろしければ参照してみてください。

www.tokyodisneyresort.jp

リンク先の公式ブログの記述を引用すると、

これは、当時の天文学者に知られていた天体と惑星の現象を示す科学図や星座図。

とのことです。なるほど。ちなみに先に言っておくと少なくとも星座図ではありません。公式ブログ...

壁画は全部で10個あるのですが、実際は5種類が2セットになっているので壁画自体は5つです。ここでは便宜上A~Eまでの記号をふります。

一応各図における解説を入れますが、なにぶん僕が理系分野に関して完全に素人であるため間違ったことを言っている可能性が非常に高いです。予めご了承ください🙇‍♂️

壁画A

壁画A

まずはこちら。これらとそっくりな図が、皆さんご存知レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)が残したとされる手稿に残されています。彼の手稿を集めて解説したフランスの学者ジャン・ポール・リヒターの書"The Literary Works of Leonardo Da Vinci"(以下同書)にてその図を見ることができます。壁画A〜壁画Dに関しては全てこの本が元ネタとなっています。要はこれら壁画の大半はダ・ヴィンチが書いたものだということですね。以下同書から引用した画像を併せて紹介します。詳しくはリンク先を参照してください。

第一巻

archive.org

第二巻

archive.org

壁画A中心の図

まずは真ん中の大きく書かれた図、これは上記の書における「派生した影の形について」の169項の挿図として描かれているものです。2つの物体があったときに光源に近いもの(上の球)は光があたる範囲が大きいため、相対的に影の部分が小さくなり派生した影も小さくなる、反対に光源にから遠いもの(下の球)の影は大きくなるよーという図です。

『The literary works of Leonard da Vinci Vol.Ⅰ』
92ページより

 

壁画A左の図 目と線が描かれています。

続いて壁画Aの左にある図、こちらは同書「消失の遠近法」の項の224項の挿図です。非常に遠くにあるものはその詳細が削ぎ落とされ、小さな点としてしか視覚情報として認識できないことを表しているらしいです。

『The literary works of Leonard da Vinci Vol.Ⅰ』
108ページより

 

壁画Aの右にあるのは同書第2巻の875項にある図が元ネタです。ダ・ヴィンチは月が自ら光を発しているわけではなくそれが太陽光の反射によるものであることを既に突き止めていました。ただ、彼は月には水があり、その波によって月は光を反射しているのだと考えていたと言われています。その研究の一環として波が立っている水面に太陽が光を発するときの光の反射の仕方を表しているがこの図だそうです。波が立っている水面に写った像は実際よりも大きく見えることを図示しています。

壁画A右の図

『The literary works of Leonard da Vinci Vol.Ⅱ』
144ページより
 
壁画B

壁画B

真ん中の大きな図は、先程の壁画Aにも登場した「派生する影の形について」の173項が元となっています。1つの窓から光が差し込む部屋に置いて、真ん中に置かれた物体と斜めに置かれた物体の影の長さの違いを表しています。真ん中のものは照らされる範囲が大きいため影は小さくなり、反対に斜めに置かれたものは照らされる範囲が小さいため相対的に影は大きくなる的ことを示しているということです。

『The literary works of Leonard da Vinci Vol.Ⅰ』
92ページより

 

壁画B左下の図

壁画Bの左下にある図は、同書1巻162項の「陰影」の項の説明として描かれているものです。「物体の派生した影には3種類あり、1つ目は広がるもの、2つ目は柱状、3つ目は2つの辺が合流して交差する地点に収束し、その交差点を超えると辺は無限に伸びるか、直線になるものである」とこの項では述べられています。

『The literary works of Leonard da Vinci Vol.Ⅰ』
92ページより

 

続いて左上の図(下記写真)は同書第2巻の867項「地球が星であることを証明する方法」に描いてあるものです。真ん中が地球、そのまわりの線が「火の球」(原文だと"sphere of fire")、さらにその外が月(もしくは太陽)の軌道を示しているとのこと。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスはそれ以前のエンペドクレスのものをもとにして、世界は火、空気、水、土でできているという四元素説を唱えました。月の下(月下界)にはそれぞれの元素の領域があるとされており、その一番外側の領域が火の領域だとされているんですね。アリストテレスのこの考えはその後のイスラーム、ヨーロッパ世界へと引き継がれていき、ここでいう「火の球」は火の領域のことを指しているのでしょう。

壁画B左上の図

『The literary works of Leonard da Vinci Vol.Ⅱ』
140ページより

 

壁画Bの右に描かれているのは、同書第2巻の869項「遠近法」の挿図です。眼球が凸型をしていることで、遠くのものが小さく見えることを表している図だとのこと。目に届く光が屈折して交差している様子が描かれています。

壁画B右の図

『The literary works of Leonard da Vinci Vol.Ⅱ』
141ページより
 
壁画C

壁画C

さて、続いては壁画Cの中心の図から見ていきます。やたら線が引かれているよくわからない図ですね。こちらは同書1巻「光と影の相対的な割合について」の項の216項の図です。見ての通り非常に複雑な図で、僕自身まったく理解できていませんが、要は影の落ちる角度と影の強さの関係を説明している図だとのこと。ちょうどより光線が多く当たる物体がより明るくなるのと同じで、より多くの影が落ちる物体はより暗くなるということが述べられています。

壁画C 中心の図

ちなみにこちらの図、以下の元ネタの画像と比べて、壁画のものは反転していますよね。ダ・ヴィンチは文字を反転させて、要は鏡文字で書いていたことで知られています。これには彼が左利きだったからなどと様々な説や要因が考えられますが、以下の画像もよく見てみるとアルファベットや数字が反転していることがわかります。チェインバー・オブ・プラネットにあるものは書いてある文字をわかりやすくするためか、あえて反転させて描かれているんですね。

『The literary works of Leonard da Vinci Vol.Ⅰ』
108ページより

 

続いて壁画C下の図を見ていきましょう。これは同書第1巻の「目の位置に関する光と影」の141項のもの。原文には「発光体と眼球の間にある遮光体は、すべて暗く見えることになる。」という説明があります。後ろから光が当たっていても、目に見える物体の範囲は暗いままということでしょうか。

壁画C 下の図

『The literary works of Leonard da Vinci Vol.Ⅰ』
38ページより

 

壁画Cの上にある2つの図は同書第1巻の「派生する影の複雑化」の項の187項のものです。窓の脇の影が、窓から差し込む光と様々な程度の影と混ざり合うことで、影の深さが様々になることを示しているとのことです。

壁画C 上の図

『The literary works of Leonard da Vinci Vol.Ⅰ』
92ページより
 
壁画D

壁画D

『The literary works of Leonard da Vinci Vol.Ⅱ』
159ページより

続いて壁画Dですが、これらの図は全て同書第2巻「月」の項の897項のもの。太陽の光を反射した月が地球からどう見えるかを示しているのですが、図をよく見てみると、中心は地球でその外側に月、光を発している太陽はそのさらに外に描かれています。そうです。ダ・ヴィンチは当初地球を中心とする天動説を信じており、後に地動説が正しいと考えるようになったと言われています。なのでこの部屋自体は地動説を体現しているのに、その壁画の一部は天動説を示しているんですね。中々面白いです。ちなみに壁画Aで述べた、月の表面が液体で覆われているため太陽の光を反射しているというダ・ヴィンチの説はこの項でも述べられています。

ちなみにこの図に関しては元ネタの元ネタ(?)が判明していまして、1506〜1508年頃に成立したとされるアランデル手稿の「天体にまつわるメモとスケッチ」が元になっています。現存するものが大英図書館にて蔵書されていますが、過去に日本にも来ていたようですね。(下記リンク参照)

www.oricon.co.jp

壁画E

壁画E

最後の壁画Eですが、冒頭でも述べた通りこちらの図のみレオナルド・ダ・ヴィンチの描いたものではありません。では誰の図なのかというとこれもまた有名なガリレオ・ガリレイ(1564〜1642)の研究を示した図で、「金星の満ち欠け」を示した図とのこと。ガリレオは前回の記事でも登場しましたね。ただこの図はガリレオ本人が描いたものではなく、スイスの数学者であるマティアス・ヒルツガーター(1574〜1654)が『DETECTIO DIOPTRICA, Corporum Planetarum Verorum』にてガリレオの発見を基に描いたものとされています。(下記画像)

『DETECTIO DIOPTRICA, Corporum Planetarum Verorum』
35ページより

ガリレオは望遠鏡で金星が凸型から三日月型に変化する様子を発見し、ここからコペルニクスの地動説を支持するようになったと言われています。壁画Dの図とは対照的にこちらは太陽中心の地動説を示したもの。壁画の図には"Terra"(地球)、"Luna"(月)、"Mercurius"(水星)、"Venus"(金星)などと書かれています。リンク先に元ネタの画像や詳細が載せられているので参照してみてください。

books.google.co.jp

cayocesarcaligula.com.ar

完全に余談ですが、一昔前のTVドラマ『ガリレオ』のDVDボックスやレーベルにほぼ同じ図が描かれていたりします。

tower.jp

 

終わりに

ということで今回の記事では、チェインバー・オブ・プラネットの壁画の元ネタの紹介ととその解説をしていきました。この部屋の壁画はずっと何なのか気になっていたのですが、色々検索してみても具体的な説明をしているものが見つからず...それなら自分でそれを突き止めようと思った次第で、なんとかこの記事を書き上げました...!(画像検索してみても全くヒットしないものも多々ありかなり大変でした...)

ここまで読んでくださりありがとうございます!!当ブログではまだまだ書きたいことがたくさんあるので、ペースはあまり早くないとは思いますが、少しずつ更新していきますので今後ともよろしくお願いいたします🙇‍♂️またお会いしましょう!

それでは!

 

 

 

チェインバー・オブ・プラネットを探求する

最近BGS会なるものに招待いただいてから、ディズニーに詳しい方々と会う機会も増えてきて、とても刺激をいただいております。(そしていい加減ブログを更新しようと決意できました。)改めてありがとうございます!

 

さて、当ブログでは常々フォートレスについての記事を書いています。一応説明すると、フォートレスとは東京ディズニーシーのアトラクション「フォートレス・エクスプロレーション」のことで、S.E.A.という組織が拠点とする大航海時代の要塞を自由に探検できるアトラクション、施設のことを指しています。フォートレスの中にはいくつかの部屋があるのですが、その中の一室チェインバー・オブ・プラネット』をご存じでしょうか。

フォートレスの一室
チェインバー・オブ・プラネット』

そうです。みんな大好きなあの部屋です。中心に巨大な太陽系儀があり、天井には無数の星空が描かれ、荘厳な音楽が流れるあの部屋のことです。幻想的なプラネタリウムのような場所で、めちゃめちゃ綺麗ですよね!!!現在もフォートレス内で配布されている公式のペーパーには以下のように紹介されています。

ロマンスを追い求める者は「チェインバー・オブ・プラネット」に入ってみるがいい。惑星を動かしてはるかな宇宙に思いをはせてはいかがだろうか。

いい文言ですね。僕自身東京ディズニーシーの中で1番と言っていいほどお気に入りの場所でありまして、リハブ期間を除き、パークに行った際には必ず訪れる場所です。皆さんの中にもこの場所が好きな方多いのではないでしょうか。

今回はそんな『チェインバー・オブ・プラネット』についてとことん探求して、思うがままに綴りまくっていこうという記事です。しばしお付き合いくださいませ...!

概要

まず『チェインバー・オブ・プラネット』がどのようなものなのかについて改めて説明したいと思います。なお、この部屋の時代設定については公式ガイドブック等の表記からひとまず16世紀と仮定します。

16世紀といえば当時のヨーロッパはルネサンスのさなか。そんな中、ポーランド天文学者ニコラウスコペルニクス(1473~1543)が衝撃の発表をします。彼が死に際に出版した著作『天球の回転について』(1543)では、当時のヨーロッパで当然のように信じられていた天動説(地球が宇宙の中心で、そのほかの天体はすべて地球を中心に回るっているとする説)を真っ向から否定する地動説(太陽系の中心は太陽であり、地球はその周りを回る一つの天体にすぎないとする説)が説かれています。(実際には彼は1510年頃には、「コメンタリオルス」と呼ばれる地動説を説いた論考を仲間内には公表していました。)

太陽を中心とする地動説

コペルニクスは科学的な観測に基づき地動説の方が正しいという結論に至りますが、当時の社会では古代の天文学者プトレマイオスの完成させた天動説が伝統的に採用されており、またキリスト教社会の中で地動説は聖書の記述とも矛盾するため、彼の発見は当時の社会に歯向かったものになります。(コペルニクスが死去する際まで著作を発表しなかったのはその批判を恐れたためとされています。)

実際、後に地動説を説いた、かのガリレオ・ガリレイ(1564~1642)が宗教裁判にかけられ断罪されたという逸話はよく知られていますよね。ただ実際には、彼を支持する宗教人も多く、彼の裁判には三十年戦争に突入する社会情勢の中で、教皇の権力争いなどが絡んでいたとされています。一概に宗教vs科学の構図があったとは言えないんですね。

ja.wikipedia.org

前置きが長くなりましたが、要はその地動説が体現されているのがこのチェインバー・オブ・プラネットなのです。この部屋には中心に太陽が置かれ、その周りを水星、金星、地球、火星、木星土星という6つの惑星が回っている様子が再現されており、その動きをを手元のハンドルで操作することが出来ます。なお現在太陽系の惑星に含まれる天王星海王星がないのは当時まだ発見されていなかったからと言われています。

部屋の中心の太陽系儀。
ちなみに個人的にお気に入りの1枚です。

現在の我々からしたら太陽系の中心が太陽であるのは当然ですが、そうは考えられていなかった時代においてこのような巨大な太陽系儀はかなり時代を先取りしていたものといえます。そんなルネサンスの叡智が詰まっているのがこの部屋なんですね!

 

ちなみにこの部屋のちょうど下に位置するレストラン『マゼランズ』にはこの太陽系儀の模型が飾られていたりします。ほしいぃ〜

『マゼランズ』にある模型。素敵です。

6つの惑星

それではこの部屋について細かく見ていきましょう。まずは先ほど述べた6つの惑星についてです。これら6つの惑星にはそれぞれ対応したハンドルがあり、その前には各惑星の説明が書かれたパネルがあります。せっかくなのでパネルも一緒に見ていきましょう。

ちなみに惑星は太陽に近ければ近いほど、その重力に引き込まれないようにするために速く公転すると言われています。この部屋でもその速さの違いが再現されており、内側の水星はハンドルを少し回しただけでかなり進むのに対し、一番外の土星はハンドルをちゃんと回さないとなかなか進んでくれない、という風に作られていたりします。芸コマ。

太陽の周りには各惑星が
水星

水星、一番小さいです。

まずは太陽系の一番内側を公転する星、水星です。大きさ、質量ともに太陽系の惑星の中で最小とされています。

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水星(マーキュリー)は、ローマの神々に仕える俊足の使者メルクリウスを称えて命名された。

メルクリウスとはギリシャ神話でいうヘルメスのことです。オリンポス12神の1人に数えられていて、商業や旅人のほか、盗人の守護神でもあります。彼は全神々の中で最速を誇ることから、太陽系で最も公転の速い水星にはぴったりの名前ですね。

金星

金星、金色といわれれば金色っぽい。

金星は太陽系の中で地球のすぐ内側をまわる惑星。大きさ、質量ともに地球と近いと言われています。

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金星(ヴィーナス)は太陽から2番目の惑星で、ローマ神話の美と愛の女神ウェヌスを称えて命名された。

ウェヌスギリシャ神話でいうアフロディーテのこと。ルネサンス絵画の巨匠ボッティチェリが描いた『ヴィーナスの誕生』に描かれているのも彼女ですね。某イタリアンレストランで一度は見たことある人も多いんじゃないでしょうか。

地球

地球、細かいですが陸地や月なんかもしっかりありますね

地球です。水の惑星とだけあってしっかり青。やっぱり地球は青かったんですね。

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地球は5番目に大きい惑星である。 いまだ論争を引き起こす話題ではあるが、 我々は地球が地軸を中心に自転しながら、 他の惑星と共に太陽の周りを回っているという、 コペルニクスの地動説を支持する。

ここにきてコペルニクスのことが言及されました。やはりS.E.A.はコペルニクスの地動説を支持しているようです。「いまだ論争を引き起こす話題」であるとも言っていますね。実際コペルニクスガリレオの地動説は瞬く間に科学界を席巻したわけではなく、16~17世紀当時まだ多くの人が天動説を信じており、大学でも天動説が教えられていたと言われています。当時S.E.A.は天文学に関しては少数派だったわけです。

火星

火星、よく見ると左上に小さな衛星が。
画質悪くてスミマセン...

火星です。地球のすぐ外側を回る惑星ですね。創作物などにもよく登場する、馴染みのある惑星です。水があったとされる痕跡が見つかったり、移住計画があったりと何かと話題になります。

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火星 (マーズ)は太陽から4番目の惑星で、その赤い色から、ローマ神話の軍神マルスを称えて命名された。

マルスギリシャ神話でいうアレス。先ほどのウェヌスを配偶神としています。ちなみになんで赤い色だと戦の神マルスになるのかというと、それが戦火や血の色を連想させるからだそう。

さて、この火星についてなんですが、よ〜く見てみると衛星がついているのがわかると思います。実際火星にはフォボスダイモスという2つの衛星が回っていることから、なんら変なことではないのですが、問題なのはそれが発見された時代です。先程この部屋には当時発見されていなかった天王星海王星がないことは述べましたが、火星の衛星の発見は1877年で、天王星が発見された1781年よりずっと後なんですよね。

ja.wikipedia.org

これには様々なことが考えられますが、現実的に考えるならば衛星あと付け説が個人的に一番しっくりくると思っています。(ここからは完全な僕の妄想です。長いです。

チェインバー・オブ・プラネットという部屋が作られたのはおそらく公式の情報にもあるように16世紀頃、確かにその当時は天王星海王星も発見されていなかったので、部屋にある惑星は六つ。もちろん火星の衛星も未発見なのでなしです。時代が下るにつれて天王星という惑星が発見されるが、部屋の大きさも限られており、そもそも惑星を追加するとなると太陽系儀そのものを作り直さなければならない。そうなると大変な労力がかかりますし、チェインバー・オブ・プラネットそのものにも文化的、歴史的な価値が付与されているはずです。その点で惑星を新たに追加することは不可能だった。
しかし、さらに時代が下るにつれて今度は火星の衛星が発見されます。火星の模型に衛星を追加するだけであればさほど労力はかかりませんし、少し手を加えるだけなら文化的な価値も下がらないだろう、と考えたかはわかりませんが、おっしゃ折角だし衛星つけたろ!的なノリで衛星を追加したのではないでしょうか。

もちろんここはディズニーですから、フォートレスを拠点に活動するS.E.A.は実はもっと昔に火星の衛星を発見していたが、それを公にはせず組織内の秘密として隠し、こっそりチェインバー・オブ・プラネットに組み込んでいた、なんていうロマンのある考えもできなくはないです。というかこっちの方がロマンがあるのでこっちにしましょう!()

もっとも、S.E.A.がそこまで精密な望遠鏡を所持していたかと言われると疑問の余地しかないですが。

(妄想おわり)

さらにさらに余談なのですが、Wikipediaを参照すると火星の衛星が2つであることはガリレオと同時代の天文学者ヨハネス・ケプラー(1571~1630)が予想したという旨の記述があったりします。

木星

木星、ちゃんと衛星があります

続いては木星。太陽系で最も古いとされる惑星です。

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木星(ジュピター)は最も大きい惑星で、ローマ神話最高神ユピテルを称えて命名された。偉大なるイタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイは、天体観測により木星に大きな4つの月があることを発見した。

ユピテルというとあまりピンときませんが、ギリシャ神話でいう最高神ゼウスと聞くとわかる方も多いのではないでしょうか。雷の神であると知られていますね。まさにGod of Godsな存在です。

「大きな4つの月」とは、ガリレオが発見したとされる4つの衛星のことを指していると思われます。しっかりと模型にも衛星が付属していますね。これらはガリレオ衛星と呼ばれていて、それぞれイオ、エウロパ、ガニメデ、カリストという名前。これらは全てギリシャ神話に登場するゼウスが愛した女性の名前です。木星の名前の由来はゼウスですから、中々粋なネーミングですね。ちなみにガリレオ木星の衛星を発見したとされるのは1610年なので、チェインバー・オブ・プラネットが16世紀のものだとすると、こちらも年代に齟齬がでます。先ほどの火星の衛星のように後から加えられた、もしくはこの部屋が出来たのがそもそもガリレオ衛星発見以後の17世紀以降とするのが妥当なのかもしれません。

ja.wikipedia.org

土星

土星、輪っかがデフォルメされててかわいいです。

最後は土星です。輪っかのイメージが強い惑星ですね。

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土星 (サターン)は2番目に大きい惑星で、 ローマ神話の農耕の神サトゥルヌスを称えて命名された。 天体観測により惑星の周囲に巨大なリングを発見した 偉大なるイタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイは、 そのリングを「土星の環」と呼んでいる。

サトゥルヌスといえば、ゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』で有名ですよね〜。初めて見たときは中々ショッキングでした。ギリシャ神話ではクロノス。ゼウス(ユピテル)の父にあたります。

木星に引き続き、こちらもガリレオのことが書かれています。S.E.A.は結構ガリレオ推しですね。「偉大なる」という形容までついちゃってます。土星の存在は先史時代から人類には知られていたそうですが、土星の象徴ともいえる「土星の輪」が発見されるのは近代に入ってからなんですね。ちなみに土星の輪の発見も木星の衛星の発見と同じ1610年のことと言われています。

なのですが、調べてみるとガリレオはそれを輪とは認識できなかったそうで、それが輪と判明するのはそれより後の1655年のことなんですね。なのでガリレオが「土星の輪」と呼んだかどうかはかなり怪しいです。

調べれば調べるほど矛盾が出てきてしまってちょっと嫌になってきますね

ja.wikipedia.org

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追記(2023/7/7)

各パネルの説明書きの上にある図ですが、この度鮮明な写真を撮影できましたので、こちらについても解説していきます。フォートレス内の文字はラテン語か英語が主ですがこちらはなぜかフランス語。後世にコペルニクスの宇宙体系を描いたものが元ネタと考えられますが、そのうちの1つにフランス語のものがあるため(下記リンク一つ目参照)、それに即して書かれているのでしょう。

コペルニクスの体系を表した図になっている

中心に太陽があり、その外側に順に水星の軌道(もしくは天球)、金星の軌道、地球の軌道、月の軌道、火星の軌道、木星の軌道、木星の衛星、土星の軌道、土星の衛星、と書かれています。その外側には"CIEL DES ETOLIE FIXE"と書かれていますが、これは訳すと恒星天のこと。恒星天は天球と呼ばれるものの一種で、天球とは古くはプトレマイオスが提唱した、惑星や恒星がその上にはりついて運動するとされた巨大な球体のことです。天動説を唱えたプトレマイオスに対してコペルニクスは地動説を唱えましたが、天球の概念に関しては彼から引き継いだとされています。(そしてこれが歴史の面白いところなのですが、コペルニクスはその伝統的な天球という概念を保持していたことが原因で、革新的な地動説へと至ったのだと言われているんですね。)

パネル上部の拡大

恒星天の外側には"L'EMPIREES OURLE JOUR DES BIEN-HEUREUX"と書かれています。フランス語に関しては全くの無勉強なので非常に拙いですが、訳すと「帝国が福者の1日を縁取る」といった感じでしょうか。(有識者の方いたら是非ご指摘お願いしたいです...)これは一体どういうことなんだということで、元ネタの1つを見てみると、該当箇所に"Coelum Empiraeum Sive Habitaculum Electorum"と書いてあります(下記画像)。こちらはラテン語で「天上の帝国、あるいは選ばれた者の住処」という意味(たぶん)。調べてみると、どうやら恒星天の外側は神と神に選ばれた者の住まいであると考えられていたらしく、恐らくそのことを示しているのだと思われます。

『ATLAS METHODICUS : EXPLORANDIS JUVENUM PROFECTIBUS IN STUDIO GEOGRAPHICO』より

読みにくいですが、一番外側には"Coelum Empiraeum Sive Habitaculum Electorum"と書いてあります


www.rmg.co.uk

kolekcijos.biblioteka.vu.lt

追記終わり

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星座

部屋の天井にはプラネタリウムのように星空が描かれていますが、これらは現代とは多少形が違えど星座が描かれているのがわかります。さらに中心には北極星を尻尾の先とするこぐま座が描かれていることから、北天の星座が描かれていることがわかりますね。

天井にはたくさんの星座が。
真ん中にこぐま座があります。

描かれている星座を紹介したいのですが、実際の部屋だと上の写真のように一度にすべての星座を見ることが出来ないので、以前フォロワーさんに教えていただいた、ディズニーシー5周年の際にフォートレスで配布されていたというペーパーを用いて紹介します。(リンク先に載ってます)

disney.fandom.com

これでチェインバー・オブ・プラネットで星空を観測する際にもバッチリですね!

(なお、よくよく見てみると実際の部屋と下記のペーパーの方で星座の形が微妙に違っていたりしますが、概ね一致しているのでここではあまり追及しません)

チェインバー・オブ・プラネットで見られる星座たち

S.E.A.のメンバーたちはこの部屋の天井を見ながら、あの位置に〇〇座があって~、などと話していたのでしょうか。ロマンがあります。ちなみに星座の周りに書いてある月名はポルトガル語。以前ブログで書いたように、フォートレスがイベリア半島にあることを裏付けているように思えます。あとこの字のフォント美しくていいですよね。

tsubasan0924.hatenablog.com

 

さて、まだまだ書きたいことがあるのですが、ひとまず今回の記事はここまでにします。次の記事ではチェインバー・オブ・プラネットの壁画について書いているのでそちらも併せてみていただけると嬉しいです!

tsubasan0924.hatenablog.com

それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!ご意見等あれば是非お願いします🙇

 

チャオ!

参考文献

高橋憲一(2020)『よみがえる天才5 コペルニクスちくまプリマー新書

 

エクスプローラーズ・ホールで見る地中海の歴史

こんにちは!すっかり春休みに入りめちゃくちゃ暇なはずなのに、一向にやるべきことが進まないまま過ごしています。ブログの方も書きたいことはあるのに中々手をつけることができていません。自分なりのペースでやるのでどうぞ暖かい目で見てくださると嬉しいです🙇‍♂️

 

そんなわけで、今日はフォートレスの中の情報庫『エクスプローラーズ・ホール』についての記事を書こうと思います。とはいっても何分情報量が凄まじく、全部書こうとすると時間と労力がかかりすぎるので、今回は割とさらっと書いていくつもりです。

また予め断っておきますがこの記事に書くことは全て僕個人の解釈に基づくもので、決して確定的な情報を伝えるものではありません。こういう見方もあるんだなあ程度に読んでくだされば幸いです。

 

もうだいぶ前の記事になってしまいましたが、まだ読んでいない方は本題に入る前に、以前の僕の記事を読むことをお勧めします!

tsubasan0924.hatenablog.com

エクスプローラーズ・ホールとは

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わからない人のために一応説明しておくと、『エクスプローラーズ・ホール』(上記写真)はディズニーシーのウォークスルー型アトラクション『フォートレス・エクスプロレーション』の中にある一室のことを指します。2002年に講談社さんより出版された『完ペキ攻略ガイド 東京ディズニーシーのススメ』に記載されている説明文が簡潔でしっくりきたので、そちらを引用させていただくと

●冒険家の業績を称えるエクスプローラーズ・ホール

16世紀までの探検家や冒険家の肖像画が通路の両側が描かれ、その下方に描かれた絵が、彼らの成し遂げた偉大な業績を伝えています。肖像画の人物は、誰もが知っているヴァスコ・ダ・ガママルコ・ポーロをはじめ、ヨーロッパでは有名なレイブ・エイリークソン、フランシス・ドレイクなどで、彼らの名の多くは、「ディズニーシー・トランジットスチーマーライン」の船名にも使われています。

とのことです。 要するにこの部屋では色んな歴史上の人物とその業績を学べるというわけですね。部屋の肖像画と壁画の全体像を下に載せておきますが、見てわかる通り(?)肖像画の人物とそれぞれの下に描かれている事柄がなんとなく対応しているんです。ということは、肖像画に描かれている人物が12人ですので、一見ごちゃごちゃしているように見える壁画も12個のブロックに分けることができます。そのように分けて見ると多少なりとも壁画を見やすくなるのではないでしょうか。(一部おや?と思うところもありますが...それについては後ほど書きます。)f:id:Tsubasan0924:20220302010726j:image
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でもってタイトルにもあるとおり、この部屋から読み取ることの出来るざっくりとした地中海沿線の歴史について今回は紹介していきます。それではいってみましょう。

 

古代の地中海世界

この部屋において、まずは古代の地中海世界から話は始まります。その地中海世界とは、地中海沿岸でポリスと呼ばれる都市国家を形成したことで知られる古代ギリシア、そしてアレクサンドロス大王の遠征によってその領土がアジアや現エジプトまで広がったとされるヘレニズム世界のことを指します

紀元前4世紀頃に活躍したピュテアスマッサリア(現マルセイユ)生まれの地理学者で、彼の肖像の下には、彼がグレートブリテン各地を訪れたことを示す地図が描かれています。

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ピュテアス(紀元前4世紀頃)

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紀元前325年頃に航海したとされるピュテアスですが、この地図ではラテン語で地中海周辺の地名が書かれています。ここで特に注目したいのが地図上で最も上に書かれているTHULEで、この「トゥーレ」とはヨーロッパ古典文学上の伝説の地の名前です。それについて最初の記述をした人物こそがピュテアスとされているんですね。

ja.wikipedia.org

さらに地図の下には初期のガレー船のようなものが描かれています。古代ギリシアで誕生したガレー船は、帆走することも漕ぐこともできるという特徴を備えているものであり、地形が複雑で風向きの安定しない地中海で重宝されてきました。f:id:Tsubasan0924:20210323212318j:plain

 また、この壁画にはヒエログリフのようなものが描かれていることから、紀元前3000年頃から始まる古代エジプトを表したと思われるものがあります。古代の地中海世界の広がり、または文明の誕生を示しているのでしょうかね。f:id:Tsubasan0924:20210323212312j:plain

 

そんな中、初めは都市国家として台頭してきたローマが、紀元後には帝政ローマとして地中海域を統一する大国家へと成長していきます。このローマ帝国期に活躍した天文学者が有名なクラウディウスプトレマイオス(83〜168頃)です。

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クラウディウスプトレマイオス(83〜168頃)

彼は2世紀にエジプトのアレクサンドリアで活躍したということ以外、その生涯こそ謎に包まれているものの、彼が大成させた天動説は、後に誕生するキリスト教の教えと合致することも相まって、およそ1300年もの間支持され続けることになります。下の写真の絵はプトレマイオスが天体観測をしている様子で、中心に地球が位置している渾天儀が置かれています。下の127ADという表記は彼が天体観測を始めたとされる紀元127年を表しているのでしょうね。f:id:Tsubasan0924:20210324204201j:plain

また、彼の作製したプトレマイオス世界図』は科学的な最初の世界図と評価され、こちらも後の世まで浸透していくことになるんですね。エクスプローラーズ・ホールではプトレマイオスの著書である『地理学』を基にして再編成されたとされるものが描かれています。f:id:Tsubasan0924:20210324204217j:plain

イスラームの台頭

さて、古代ギリシア、ローマで華開いた文化たちは、古代の終焉(基本世界史では、476年の西ローマ帝国の滅亡を古代の終わりとすることが多いです。)とともにヨーロッパでは地に埋もれてしまうことになります。そこで文化の担い手として登場するのが、東のイスラーム世界ビザンツ帝国(東ローマ帝国)です。特にイスラーム世界では、古代の叡智であるギリシア語の文献を次々とアラビア語へと翻訳していき、哲学、数学、天文学、地理学、化学などを発達させていきました。中世世界において、文化や学問の中心地はイスラームだったというのはよく聞く話ですよね。少し話が長くなってしまいましたが、ここエクスプロラーズ・ホールでもその一部を見ることができます。例えば、後のヨーロッパでも幅広く愛用される天文観測機器アストロラーベイスラームで大成されたものです。実際アラビアンコーストの何箇所かでもアストロラーベを見ることができます。f:id:Tsubasan0924:20220302110008j:image少し細かい話になりますが、ここに記されている830ADという数字は、イスラームにおけるアストロラーベの製作者アリー・ブン・イーサー・アストルラービーが活躍した時期と一致します。

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そしてこの部屋に描かれているイスラームの人物が、モロッコ出身の大探検家として有名なイブン・バットゥータ(1304〜1368)です。著作『三大陸周遊記(旅行記)』でも知られています。

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イブン・バットゥータ(1304〜1368)

f:id:Tsubasan0924:20220302122831j:imageエクスプロラーズ・ホールではご丁寧に彼が旅したとされるルートまで示されていたりします。これを見ると彼が中国の北京(当時は元の首都であった大都)までたどり着いていたことがわかります。

f:id:Tsubasan0924:20220302113835j:image上記写真の1325とはイブン・バットゥータがメッカ巡礼に出発した年のことであり、その上に描かれているのはムスリム商人が使用したダウ船だと思われます。主にインド洋で使われ、三角形の帆が特徴的な船ですね。ちなみにアラビアンコーストに停泊してるのもダウ船であり、またディズニーシーのアトラクション『シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ』においてシンドバッドが乗っているのもダウ船だったりします。

f:id:Tsubasan0924:20220302113838j:image1352年はイブン・バットゥータがマリのトンブクトゥを訪れた年で、隊商の奥にうっすらとトンブクトゥのモスクのような建築が描かれているのが分かります。あまり馴染みがないかもしれませんが、トンブクトゥは当時金と岩塩と交易する塩金貿易で栄えた都市として有名です。西欧では「黄金の都」なんて呼ばれていたそうですね。

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ノルマン人の侵攻〜商業ルネサンス

話をヨーロッパに戻しましょう。中世ヨーロッパでは9〜11世紀にかけて人口が急増したことによりノルマン人が西欧各地に侵入、彼らは海に進出し、半ば海賊行為に近いものもありましたが、各地で交易を行うようになります。あのコロンブスよりも約500年前である1000年ごろにアメリカ大陸を発見したとされるレイフ・エリクソン(970頃〜1020頃)もその1人でした。

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レイフ・エリクソン(970頃〜1020頃)

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彼の肖像画の下(上記写真)には、彼が航海したであろう北大西洋の地図、航海した時期である1000A.D.という記載、ヴァイキング船と見られる船とお馴染み(?)の風を吹く顔が描かれています。レイフ・エリクソンについて細かいことはここでは割愛しますが、強いて注目することといえば上記地図左下に書かれている“VINELAND“という記述です。この北米にあるヴィンランドと呼ばれる地は彼が到達し、彼が名付けた土地でもあります。現在におけるニューファンドランド島ではないかという説が有力です。また、僕は聞いたことある程度なのでよく知りませんが、漫画『ヴィンランド・サガ』のタイトルに使われているのも同地なようですね。

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ノルマン人のヨーロッパ侵攻が終わると、一時は衰退していたヨーロッパの商業が再び活気を取り戻すことになります。11〜12世紀に起こったこの商業の復興をベルギーの歴史家ピレンヌは商業ルネサンスと呼びました。この際に台頭したのが遠隔地商業で栄えた北イタリアの2つの都市、前回のタイトル決定についての記事でも触れました、お馴染みのヴェネツィアジェノヴァです。これら2つの都市が交易で蓄えた富が後のイタリアン・ルネサンスが起こった一因になります。

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エクスプロラーズ・ホールにも肖像画が描かれている有名なマルコ・ポーロ(1254〜1324)ヴェネツィア生まれの商人でした。

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マルコ・ポーロ(1254〜1324)

折角なので彼の肖像の下にある絵にも目を通してみましょう。

f:id:Tsubasan0924:20220303220406j:imageまず上記の絵左上に描かれているのは中国商人が利用してきた木造船で、現在でも使用されているジャンク船です。中国の船といったらまずこのフォルムが思い浮かびますね。先程紹介したダウ船が三角形の帆であるのに対して、こちらは四角形をしているのが特徴です。真ん中に書かれている1271という数字は、マルコ・ポーロが父に連れられて旅に出発した1271年のことを表していると思われます。少し調べてみたところ、その右側に描かれているのは一行がビザンツ帝国の首都であったコンスタンティノープルを出発するときの絵で、その下に描かれているのはカンバリク(元の首都大都、現北京)にあるフビライ・ハン(の息子?)の宮殿らしいです。

f:id:Tsubasan0924:20220303220404j:image続いて、1275という数字はマルコ・ポーロが大都(北京)を訪れた年であり、その下に描かれているのは甘粛(現在の内モンゴルの南、新疆ウイグル自治区の東にあたります。)周辺の様子だそうです。そこには古代から存在が信じられてきた三体の巨人が描かれています。その特徴とインパクトから一部のDオタの間でカルト的人気を誇っているとかいないとか。

上記の絵はマルコ・ポーロの著作(厳密には彼が獄中で口述)である『東方見聞録(世界の記述)』の挿絵を模したものだと思われます。余談ですが、パーク内で中国に関するものは数少なく、(意図的に減らしている気もしますが)その中の1つがここです。

ルネサンス

さあ、いよいよ本命のルネサンスに入っていきます。というのもここエクスプロラーズ・ランディングが成立した時代というのがまさにルネサンス期、そして同時期の大航海時代だからですね。ルネサンスに関してはメディテレーニアンハーバー内の至る所でその意匠が見られますが、それについては今後別の記事で紹介します。

簡単にまとめると、ルネサンスというのは当記事の最初の方に紹介したプトレマイオスを始めとする古代の叡智を当世に甦らせるとともに、キリスト教が支配的だった中世観を打破し、人間の価値の再発見を目指した運動のことです。とは言っても、カトリックの宗教的な権威を否定し、体制改革を伴った同時期の宗教改革とは違い、あくまでルネサンスは教会中心の体制は維持するというものでした。

前置きはこれくらいにして、本題に戻ります。エクスプロラーズ・ホールに肖像画が飾られているルネサンスの人物といえば誰もが知るレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)です。彼については、S.E.A.の設立年代に関する記事で触れましたね。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)

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ルネサンス人文主義においては、科学と芸術を両極端なものとしてみなしてはいませんでした。その証拠に『モナ・リザ』や『最後の晩餐』などの芸術作品で知られるダ・ヴィンチは、それらと同じくらい革新的な科学や工学に関する研究を行っていました。彼の肖像画の下に描かれているのが彼が発明したものの数々です。f:id:Tsubasan0924:20220303230025j:imageダ・ヴィンチの手稿に描かれていた、翼、羽ばたき機、プロペラエンジン、戦車などが描かれていますね。

さて、ルネサンスの学問における大変革といえば、ポーランド天文学者コペルニクスが『天球回転論』で説いた地動説が有名です。科学的にも証明されており、今では一部の人を除き地動説を疑う人はいませんね。しかし当時、聖書の記述に反するその説に当然ながら反発の声が無かったわけではありませんでした。デンマーク天文学者ティコ・ブラーエ(1546〜1601)もその1人でした。彼は自身の天文台を建て、膨大な数の星の観察を続けました。その際に使用したとされる彼の渾天儀などもそこには描かれています。

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ティコ・ブラーエ(1546〜1601)


f:id:Tsubasan0924:20220303231047j:image左から、台座付きの六分儀、黄道式渾天儀、方位角四分儀であると思われます。

コペルニクスの地動説が発表されて以後も、敬虔なプロテスタントとして天地創造の中心は地球であるという旧約聖書の言葉を無視できなかったブラーエは「ティコ体系」と呼ばれる独自の宇宙モデル(下記写真)にたどり着きます。f:id:Tsubasan0924:20220303231045j:image実際彼の理論はコペルニクスのものを多く取り入れていましたが、あくまでも宇宙の中心に位置するのは静止した地球でした。その周辺を太陽や月が回り、水星、金星、火星、木星土星は太陽の周りを回る。それがブラーエの結論であり、その特徴から「修正天動説」とも呼ばれます。

大航海時代

最後に、フォートレスについて話す上で語ることのできない大航海時代についてです。中学校の歴史にも登場するテーマなので、なんとなくでもご存知の方も多いのではないでしょうか。言わずもがなですが、フォートレスの位置するエクスプロラーズ・ランディングは主に大航海時代の冒険家、探検家たちが集い、そして旅立って言った冒険の拠点でもあります。

こちらも簡単に説明しますと大航海時代とは、中世の終わりから近世のはじめまで、ヨーロッパ諸国(主にスペイン、ポルトガル)が強大なイスラームによって塞がれたアジアへの道を切り開くため、新たな航路を模索し、発見した時代です。具体的には1415年ポルトガルのセウタ(ジブラルタル海峡南岸の都市)攻略から1648年のウェストファリア条約締結までを指すそうです。もちろん以前の記事で紹介した1538年という年もこの期間に含まれます。

そろそろ本題に戻りますが、まずエクスプロラーズ・ホールに肖像が飾られているのはポルトガルジョアン1世の息子であるエンリケ航海王子(1394〜1460)です。

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エンリケ航海王子(1394〜1460)

ポルトガルの領土拡大に奮闘した彼は、イスラームの根強い社会基盤にそれを遮られてしまったことで、航海への進出を決意します。1416年、彼はポルトガルの最南西端のサグレスと呼ばれる場所一体に大航海センターなるものを設立したとされています。(現代において明らかになっていない部分も多く、後世の創作が大半であるという見方もあるようです)エンリケはこの航海学校にスペイン、フランス、イングランドなど様々な国から学生や教師を集め、腕利きの航海者を養成します。惜しまれながらも昨年9月に放送が終了した番組『夢の通り道』では、フォートレスのモデルとしてこのサグレスの要塞が紹介されていました。(公式サイトのバックナンバーは見られなくなってしまっていますが、代わりに載せているサイトを見つけたので、リンクを貼っておきます。)

www.dreamagic.jp

そして彼の肖像の下にあるのがこちらの絵です。f:id:Tsubasan0924:20220314010441j:image岬の上に立っているのがエンリケだとすると、背景の建物はサグレスの要塞ということになるのでしょうか。ただ建物の中央に金色のドームがあったりと、フォートレスの見た目と少し似ているような気もします。イマジニアが多少意識して描いたのでしょうかね...?そして気になるのが1411という数字です。1411年にエンリケ航海王子に直接関わる出来事は確認できず、強いていえば、彼の父ジョアン1世がカスティリャ王国と和平を結んだとされる年ですが、そもそも先程の僕の仮定だと年代が矛盾してしまうので正直わけがわからないです。僕の方ではこれが限界なので、有識者の方いらっしゃいましたら是非教えていただけると助かります🙏

エンリケの登場以降、様々な人物が航海へと乗り出しますが、少し時間が進んで1492年、かのクリストファー・コロンブス(1451〜1506)が西洋人の中で初めてアメリカ大陸を発見します。(但し前述のように、それ以前にもアメリカ大陸にたどり着いた人物がいたという話もあります。)

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クリストファー・コロンブス(1451〜1506)

東向きではなく、西向きに航路をとってアジアへ達しようというコロンブスの発想の裏にはフィレンツェ天文学者トスカネリ(1397〜1482)の地球球体説がありました。(実際には、地球が丸いものであるということは、当時の知識人にとっては常識でした。)ルネサンス初期の中心的人物であったトスカネリは、彼の学説に心酔したコロンブスから手紙を送られ、彼のことを激励したとされています。実際にはトスカネリにしたがって導いたコロンブスの計算は大幅に誤っており、コロンブスは自身が到達したアメリカ大陸のことをインドだと信じたまま生涯を終えることになります。

そんな彼の肖像画の下に描かれているのがこれらの絵です。f:id:Tsubasan0924:20220314174436j:image上の地図には、大西洋を挟んでヨーロッパ、アフリカの向こう側にコロンブスが発見したアメリカ大陸が描かれています。(ちゃんとした写真を持ち合わせておらず、不鮮明で申し訳ありません🙇‍♂️)その下に描かれている絵は比較的よく見る絵で、コロンブスが新大陸に上陸したときの様子を描いているものですね。とはいえこの絵は16世紀末のスペインで、想像といくらかの偏見によって描かれたものであり、実際のコロンブスと先住民たちの様子を描いたものではない可能性が高いです。

続いてこちらも中学校の教科書レベルの人物ですが、1498年にポルトガル王マヌエル1世のもと、ヴァスコ・ダ・ガマ(1469〜1524)が東回りでのインド航路を開拓します。

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ヴァスコ・ダ・ガマ(1469〜1524)


f:id:Tsubasan0924:20220314221326j:imageこちらの絵(上記写真)に関しては元ネタが見つかっておらず、詳細はわかりませんが、ガマがインドのカリカットに到達し、領主ザモリンに謁見しているときの絵でしょうか。(間違っていたらすみません。)右下にはスペイン語で「ポルトガル国旗」と書かれた旗が描かれていますね。

f:id:Tsubasan0924:20220314220419j:imageその下に描かれている地図と矢印は言うまでもなくガマの辿った航路を示しています。アフリカの喜望峰を超えて、インドへと向かったことがうかがえます。左下には船が描かれていますが、ガマの艦隊の旗艦サン・ガブリエル号でしょうか。

コロンブスヴァスコ・ダ・ガマときたらその次にくるのはフェルディナンド・マゼラン(1480〜1521)ですよね。同じくフォートレス内にあるレストラン『マゼランズ』でもお馴染みの人物です。

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フェルディナンド・マゼラン(1480〜1521)

彼は現インドネシアにある香辛料の産地モルッカ諸島への西回り航路の開拓を目指し、就任したばかりのスペイン王カルロス1世(1500〜1558)の援助のもとで大西洋に進出しました。マゼランは南アメリカ大陸の南端へと到達し、彼が名付けた大洋である太平洋を通過し、フィリピン諸島へとたどり着きますが、その後現地の島民との争いにより1521年に刺殺されてしまいます。翌1522年、様々なトラブルに苛まれながら生き残ったたった18名の船員がスペインの港へと帰着し、彼の艦隊は事実上の世界周航を成し遂げました。

f:id:Tsubasan0924:20220314225239j:image上記の絵の上側には、マゼランにちなんで名前がつけられているマゼラン海峡を渡っている船団が描かれています。その下に描かれているのは彼が名付けたとされるパタゴニアの様子だと思われます。かつて同地にはパタゴンという巨人族がいると信じられており、そのため上記の絵では人が巨人のように描かれているのでしょうね。

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f:id:Tsubasan0924:20220314225242j:imageその下に描かれている船は、マゼランの5隻の艦隊の中で唯一スペインに帰着し、世界一周を成し遂げたビクトリア号でしょう。2005年には復元されたものが日本にも訪れたようですね。

大航海時代に世界の覇権を握り、隆盛を極めたスペインやポルトガルもじきに勢力が衰えていき、代わってオランダやイギリスが台頭します。中でもイギリスは1588年のアルマダ戦争でスペインの無敵艦隊(アルマダ)を破ります。そのイギリスの覇権争いに一役買ったのが私掠船船長として世界周航を成し遂げたフランシス・ドレーク(1543〜1596)です。

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フランシス・ドレーク(1543〜1596)

彼は元々海賊でしたが、スペインへの海賊行為が時のイングランドエリザベス1世によって認められ、女王認可のもと海賊行為を続けます。下記の絵は、おそらくドレークがエリザベス女王によってサーの称号を与えられた際の絵だと思われます。f:id:Tsubasan0924:20220315000154j:imagef:id:Tsubasan0924:20220315000157j:imageゴールデン・ハインド号は彼の艦隊の旗艦で、5隻あった中で唯一マゼラン海峡を通過し、世界周航を成功させました。

ちょっとした疑問

以上でエクスプロラーズ・ホールに肖像が飾られている12名の人物とそれに関連する絵、歴史のざっとした説明は終わりになります。ですが、最初の方にちょこっと話したとおり、明らかに肖像画の人物とその下の絵が対応していないパターンが見られます。下記の写真を見てもらえれば分かると思いますが、マゼランとドレークの肖像画の位置は本来逆である方が正しいはずです。(なのでこの記事では人物と絵が対応するように紹介しました。)f:id:Tsubasan0924:20220315004417j:image

同様のことはヴァスコ・ダ・ガマとティコ・ブラーエでも見られます。(下記写真参照)
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ちなみにコンセプトアートの方ではヴァスコ・ダ・ガマとティコ・ブラーエの肖像画はしっかりと下の絵画に対応するように配置されています。写真をお借り出来ないので、下にサイトのリンクを貼っておきます。これは意図的なものか、それとも単に誤って肖像画を飾ってしまっただけなのでしょうか…?小さいことではありますが、多少気になる点です。

jungleskipper.com

 

というわけで、冒頭でさらっと書いていくと書いた割には、それなりにボリュームのある記事になってしまいましたが今回の記事はここまでです。もっとも細かい部分はかなり端折ってるので、もっともっと突き詰めて調べていくことはできると思います。そのようなことについては今後労力があれば書いていくつもりです。(一生書かないかもしれません笑)

記事の更新をお待ちしていた皆さん、遅くなってしまい申し訳ありません。更新ペースはこんな感じだと思いますが、今後もよろしくお願いします。

最後になりますが、ここまで記事を読んでくださりありがとうございます🙇‍♂️ 皆さんのコメント、意見、指摘等をお待ちしております。

それでは!